Sapporo Far East Art Research Project トークセッション

SFEAP

札幌、北海道を極東エリアの一都市として捉えたら、どんな可能性が見えてくるだろうか。”SAPPORO FAR EAST Art Research project”のトークセッションに参加させていただくことになりました。恐れ多くも建築家の五十嵐淳さん、建築史家の倉方俊輔さんとご一緒させていただきます。今回は15人限定とのことですが、興味のあるかたは是非ご参加ください。一連のトークセッションの内容は最終的にZINEとしてまとめられ、発信されるようです。なにか今後につながる話しができればと思います。とても楽しみです。

以下主宰者/Sapporo Far East Art Research Projectによる詳細です。
Sapporo Far East Art Research Project “Talk & Eat Session”
「北海道でSURVIVEする!ー建築家編ー」
GUEST:五十嵐淳(建築家)
    倉方俊輔(建築史家/大阪市立大学大学院工学研究科准教授)
    宮城島崇人(建築家/北海道大学観光学高等研究センター学術研究員)
START:2014年9月23日(火・祝)13:30
PLACE:SIAFカフェ(札幌市中央区大通西13 札幌市資料館1階)
PRICE:一般 2,000円、学生1,000円
【お申し込み方法】
定員に限りがありますので、お早めにお申し込みください。下記のお申し込みフォームよりお一人様ずつお申し込み下さい。
http://goo.gl/ZhHh7U

関係性に開かれた空間

というエッセイを住宅特集2014年4月号に寄稿しました。
五十嵐淳さんの「集密の住居」(住宅特集2014年1月号掲載)について書いたものです。
ご高覧いただき、感想など伝えていただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします。

 

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住宅特集2014年4月号(上記画像は左記URLより)

 

 

ART and ARCHITECTURE REVIEW ブログ執筆スタート

AARfeatured blog

アートと建築を扱うポータルサイト、「ART and ARCHITECTURE REVIEW」にてオフィシャルブログを書かせていただくことになりました。これから4ヶ月にわたって随時更新していきますので、気にかけていただけると嬉しいです。メインのMAGAGINE、その他のコンテンツの方も、定期的に更新されてとても読み応えがありおもしろいです。よろしくお願いいたします。

トップ   →http://aar.art-it.asia/top
ブログ直接 →http://aar.art-it.asia/u/feature4/?y=&m=&d=&ca1=1

残り一ヶ月のマドリッド

a+uがマドリッド特集だそうで、色んな所から反響が来てなんだか嬉しいです。僕はまだ見てないんだけども。MansillaとTuñónのスタジオをETSAMでとって、ENSAMBLE STUDIOでインターンをして、さらにそこである展示計画の担当もさせてもらってるおかげでスペイン建築の色んな面とか、スペインの建築家が今考えていることを一番近いところで学んだり、考えたりすることができている。ここマドリッドに飛び込んでよかった。最初は何の手がかりも保証もなかったけれど、とにかく行くって言い続けていてよかった。もっとここにいてやりたいことがある。でも帰る日は最初から決めていた。インターンももっと続けていたいと思う。でもこれも最初から終わりは決めていたし。
来週からはマドリッドを少し出て、行けてなかった周辺の色んな街や集落に、とにかくたくさん行きたいと思う。
ここマドリッドやスペインとはまだまだ長く付き合っていきたいと思うし、また戻ってくることもあるだろう。いつもこっちでお世話になっている方と思索中の、ワクワクするような企画も進めていければと思って興奮している。色んな架け橋になれればと思うし、あのときのあいつがこんな建築つくったかって、いつか見せてやりたいと思うな。

Saint Benedict Chapelについて

精巧な工芸のような建築だと最初は思ったし、そういう評を耳にしたことがある気もする。
写真はここから
木の葉のような平面形状、中心に向かってわずかに傾いた床、架構を平面に沿った列柱で支えること、上に行く程細くなる柱、ハイサイドライトからの光、列柱がつくる影、インテリアのシルバー塗装と柱の裏のクリーム色のペンキ、柱の裏で反射される光、曲面の内壁に映る光のグラデーション。
アプローチから体験される、祈りの空間にたどり着くまでのいくつかの敷居。山道を登って目指し、斜面の中腹で自然の地形から空へ飛出すように、持ち上げられた舞台のような教会へと何段かの階段を昇る。この敷地選択と建て方の面白さ。だって、この建物が無かったら、この道の先には地面すらない。エントランスは神聖な祈りの空間へのこじんまりとした横穴で、列柱はその横穴に一切媚びを売らず立ち並んで、神聖な空間の独立性を保っている。唯一違うのは、限りなく白に近いクリーム色のペンキが塗られていないこと。この空間において、光は上から入ってくるものなんだ。
この建築を見て、そのディティールへの注力に確かに感心したけれど、でもディティールはディティールとして切り離されているわけではないし、ざっくりした全体の在り方に対するものとして、ディティールが位置づいているわけでもない。 全てが必然的に、全てと関係し合っている状態にあっては、ディティールとそうでないものという区別すら意味を持たなくなるんだなというのが、今の感覚で、何故そんな話をしたかと言うと、建築をどう組み立てるかという問題に、全ての要素が最初から参加していれば明快で、ディティールはディティールと分けて考える必要は無くなって、そういう風に建築をつくれるほうが、シンプルでいいなと思ったからだ。 今すごく関心があるのは、どれだけシンプルに、明快に建築をつくれるかということ。そういうことが今建築に求められていると感じている。
いつも、どうやって建築をつくっているんだろうと思いながら建築を見ているのは、それを想像したり読み取ったりすることは、単に手法的だったり技術的だったりするだけの味気ない話ではなくて、結局その中から、その建築が存在する枠組みを理解することができるからだし、それができなくてはいけないと思うからだ。
荒々しく切り立った山々と、鋭く切り込まれた谷底を目の前に暮らしている人々にとって、ヒューマンスケールで丁寧につくられた、ダイナミックでドラマティックになりすぎない優しい光が差し込む空間が、どれだけ特別な空間であるのか想像してみる。

「雑司ヶ谷のシェアハウス」竣工

宮城島崇人と土井亘で設計監理を行った住宅の改修プロジェクト「雑司ヶ谷のシェアハウス」が竣工いたしましたので発表いたします。
「雑司ヶ谷のシェアハウス」

雑司ヶ谷の鬼子母神堂にほど近い、築35年の木造住宅を7人が暮らすシェアハウスへ改修する計画である。敷地は副都心線雑司ヶ谷駅と池袋駅まで徒歩圏内の閑静な住宅地にある。シェアハウスは、各住民がプライベートな小さい個室を持ち、リビングやキッチンなどをシェアして暮らす住まい方であり、もともとは学生や外国人、若い会社員などの利用が一般的であった。現在では、都心のセカンドハウスやホテル代わりの利用など、その利用のされ方はより多様化しているようだ。特に都内では徐々にその数を増やしており、都市居住の新たな形態としてすでに都市インフラのひとつになりつつある。こうした新たな都市居住を考えるにあたり、一人では獲得できない大きな空間をシェアできるという、シェアハウスに住むことの最も根源的な豊かさを最大化することを計画の主題とした。

 

“かたまり”と“がらんどう”

個室には防音性、断熱性、空調効率、メンテナンスのしやすさ、必要最小面積、開口率など、賃貸商品としての性能を備えることが求められた。その為個室は、上記の要求を満たすように仕様や開口を調整して隣地建物と距離のある南面と、雰囲気の良い路地側にまとめて配置し、高性能なひとつの“かたまり”として構成した。 個室以外のシェア空間は、家族が団欒するような親密な空間ではないし、かといってワンルームマンションの無機質な廊下や階段とも異なる、家の中のような外のような曖昧な空間である。こうした空間には、いろいろな人や物が共存しても気にならないように、多様なエレメントや素材感、光の動きなどを参加させることがふさわしいのではないかと考えた。そこで、玄関、廊下、階段室、共有リビングなどのシェア空間をひとつながりに連続させ、軸組を露出させて積極的に光を取り込み、個室群の“かたまり”とは対比的な、解放感のある”がらんどう”とした。家から外に出たときに、外の世界が色々な表情を持っているように、差し込む光とあらわされた軸組や小屋組によって、絶えず表情を変える空間である。結果的にこのがらんどうは、既存の古い木造軸組の存在や、そこに射込む光の存在、窓から覗く周囲のシーンが感じられる、“豊潤ながらんどう“とでもいうべきものとなった。ここに住む誰もが家の端から端を貫く”豊潤ながらんどう“を体験し、ひとつの大きな空間で生活する豊かさを感じることができればよいと思う。玄関から見て動線的に一番奥となる共用リビングは、天井と壁に大きな開口を設け、特に道路側の開口はベンチのついた巨大な出窓とすることで空間にひろがりを与えようとした。小道を見通せる明るく暖かい大きな窓辺は、自然と人が集まるこの家のよりどころとなった。

 


撮影:土井+宮城島

撮影:入澤 諒(@RyoIRISAWA)

撮影:石川智香子

撮影:石川智香子
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撮影:石川智香子

撮影:入澤 諒(@RyoIRISAWA)

撮影:入澤 諒(@RyoIRISAWA)
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撮影:石川智香子

撮影:入澤 諒(@RyoIRISAWA)

撮影:入澤 諒(@RyoIRISAWA)
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撮影:石川智香子

撮影:入澤 諒(@RyoIRISAWA)

撮影:入澤 諒(@RyoIRISAWA)

撮影:土井+宮城島

一階平面図

二階平面図

アイソメトリック

撮影:土井+宮城島

撮影:土井+宮城島

撮影:土井+宮城島
所 在 地:東京豊島区雑司ヶ谷
工  期:2011年12月~2012年2月
構造規模:木造2階建
敷地面積:80.35㎡
建築面積:50.52㎡
延床面積:96.07㎡
設  計:宮城島崇人+土井亘
施  工:トータルリフォーム松原
© 2014 土井亘+宮城島崇人

 

 

EDIFICIO GIRASOL_José Antonio Coderch

facebookでの写真アップが圧倒的に楽で、でもそこで備忘録的にコメントとかすると、ブログと一本化できなくて不便だなと思っていたので、試してみます。といってもただリンク貼ってるだけですが。
http://www.facebook.com/media/set/?set=a.2335822449348.121174.1663444845&type=1
madridにあるcoderchの唯一(?)の作品。マドリッドの街並の中ではかなり変わったたたずまい。下部の店舗と上部の住居を分節する庭のような空間はすごく気持ちがいい。街路、地下まで掘られたパティオ状の空間との関係も自然で、都市に対する大きなプレゼントだと思いました。リッチなプロジェクトでないと、ここまで大胆に空間を使えないと思うけど、この建物がなくなったら、この場所も魅力が半減してしまうなと思えるような、この建築が街区の一部をつくっているような、都市の建築ってこういうことだなと、改めて実感できた。当初のプランだと各住戸には大きなテラス空間があって、すごく豊かな空間。ただ内部か外部かの違いではなくて、空間構成上も外部に位置しているから(とにかくプランが面白いんです)、現状はテラスを内部化しているものが多いけど、おそらく魅力的な半外部空間として、機能してるのではないだろうかと思う。ちなみにここはサラマンカ地区といって、東京でいう表参道みたいな所。下部のつくり方はなんとなくフロムファーストビルの感覚を思い出させる。僕はあの建築好きです。ただやっぱり日本とマドリッドの日差しの違いが空間に与える影響というのはすごく大きいと感じます。それってなんだろう、照度とか実際に違うのか?

その落書きみたいな建築

昨日もスタジオでは色々な事件が起こった。当初の予定だと、もう個人作業に移行するタイミングなんだが、一昨日の議論の延長で、もっと現状について詳しく知る必要があるからと、20人くらいの学生が、ひとつのグループとして作業をしたいと訴えたのだ。というツイートの続きから。

彼らの主張は、このプロジェクトを考えるためには、実際に何が起こっているか、もっと詳しく調べたいということ。(そしてこれはどうなるのかわからないけど、情報を共有しつつひとつか複数かわからないけど作品を提出するのかな。)リアリティが湧かないということなのかもしれない。でもそれは特に僕のように、言葉も文化も考え方も違う国からやってきた者にとってはなおさら。モロッコだってカサブランカだって、どんな所か全く想像がつかなかった。だから、できるだけその場所のことを知りたいと思った。敷地にも行ってみたいと思った。
 ただ同時にどこまで知ることができるのだろうと思う。グローバルに建築をつくるとはどういうことかという問いでもある。いまここで手に入る、カサブランカについての情報は、ネットだったり本だったり、facebookのコミュニティページ(これが以外に使える。でもアラビア語は無理)だったり、行ったことのある人の感想だったり、そういうものだけれども、どれもある断片を垣間見せるだけで、全体像は自動的に構築されてはいかない。それは多分敷地に訪れたところで同じ。
僕はその全体像を構築していく作業が、そのまま設計行為だと思っているから、設計しながらじゃないと、情報が効果的に処理できない。
でも情報技術によってその情報の処理能力がどんどん増えていくとしたら、あらゆる変数を参加させたらどんな建築が生まれるのかという可能性と、同時に空間がどれだけそれを独立した変数としてではなく、ある複合した状態として顕在化できるのかという可能性があるのだと思う。
実際的には、情報の精度も、量も、どこかで線引きしないといけない。というか、ある時点でそんなに情報は必要なくなってくる。どんどん空間の問題に変換されていく。
もっと知りたいこと、それはもうたくさんあるけれども、このスタジオで、僕は、富める人も貧しい人も、全然違う人種も、動物も植物も、光も風も、何でも共存できるような場所をつくりたい。スラムをいますぐ一掃したり、経済格差を解決することなんて建築にはできない。でも色んな階級の人たちがごっちゃにいても違和感のない空間をつくることは、きっと建築にできる。それでいて、どうしても現実的に対応せざるを得ない部分もまた顕在化してくる。この大きな敷地で、この辺で起こっている色んなことを顕在化したような都市のような環境のような空間がどんなものか試したい。
20人で一つのプロジェクトに取り組むとしたら、個人でやっているプロジェクトと比べて、情報量も、完成度もクオリティも高くなるだろう。間違いも少なくなる。でも、だからといってすごい建築になるかは全く別の水準の問題だと思う。ただ本当にそうやってひとつの作品ができるとすれば、それにはすごく興味があるし、楽しい。見てみたい。
彼らのスタジオでの姿勢は、情報とその処理、条件の選択と建築設計に関わる問題提起でもあったけれども、設計の方法論への直接的な関心というよりは、どちらかというと建築家の社会的位置づけに対する関心なんだろうと思う。そういうニュアンスを強く感じる。もう少し様子を見たら色々と話してみよう。
僕は、一人の人間の構想力というものに惹かれる。だからそれを鍛えたいと思う。
それはもちろん一人きりで作業するとか、誰とも相談や議論をしないとか、情報を遮断するとか、そういう意味では全くない。構想力というのは、情報の処理能力のことでも決してない。どういう問題や条件を選択して、それをどうくみ上げて、ひとつの空間にするのかということ。一人といっても、ある環境の中で色々な人やモノと関わりながら漂ってる自分という部分に過ぎないのだけど。
創造的に乗り越えるという言葉が好きだ。
西沢立衛さんの「西沢立衛建築設計事務所スタディ集」を、昨日ETSAMの巨大な図書館で見つけて読んで、その言葉を見つけた。スタディという行為そのものと、そしてそこから生まれてくる様々な可能性に溢れた魅力的なモノたちについて書かれたその文章の中に。
「膨大な費用と労力をかけたCGを、5秒くらいで描かれた落書き一枚が、創造的に乗り越えてしまうこともある」
だから、そういう落書きみたいな建築を、ここで考えられればなと思っている。

離れていても

朝晩は冷え込むけれど、まだまだ暑いマドリッドです。
風邪がなんとなく完治しないまま長引き、ビザの手続きやなんやかんやで痛い目にあいつつも、グループ作業で議論したり、建築を見に行ったり、スペイン語の勉強をしたりと、こつこつやっております。宇治の整備計画ももちろんこつこつマドリッドで作業しているわけで。
出国前に宇治で行ったワークショップの様子が記事になっているので紹介します。

関心の低さ。そうですね、まだまだこれから。始まったばかりです。
今は文化的景観という文化財指定を受けての補助金利用、整備計画だけど、それだけだと、生活に密着した切実な課題に対して取り組むことがなかなか難しい。ここを入り口にして、宇治全体のurban designを視野に入れないと、そこへ位置づけないことには、この計画はほとんど意味をもたない。
そしてそれが新しい建築に、新しい都市空間の創造につながっているのだろうかと、自問自答を繰り返す。もちろん、ほんとに自問自答だと、プロジェクトは動かないのだけれど。
「自分はいつも初めての、やり方の決まっていないことに取り組んできた。だからそういう訓練を君たちは研究室でも積んできたはずだ。」と、最後の会で受け取った、師の言葉を思い出し、いいプロジェクトにしてやると誓う。

el vacío como lugar/場所のような空白

el vacío como lugar/場所のような空白
とは何かを考える。

何かがなくなるということを目の当たりにしてからそう日が経ってない。
生きることは建てること、築いていくことなんだなとふと思う。
真っ先に建てられた新しい電線。
人は片付け、秩序をつくり、また築く。
ばらばらでめちゃくちゃだった空間が、どんどん空っぽになっていく。
からっぽになっているのに、秩序が生まれ、またなにかが始まる場所みたいになっていく。
そういうことに、初めて気づいた。