建築夜楽校2/絵を描くのは誰か

先日の建築夜楽校「タワーマンション」に続く第ニ弾、「ショッピングモールとローカルシティ」に参加しました。
パネリスト
 ・中村竜治氏/中村竜治建築設計事務所主宰
 ・岩佐明彦氏/建築計画学者 新潟大学工学部准教授
 ・芝田義治氏/久米設計
 ・関谷和則氏/竹中工務店
コメンテーター
 ・若林幹夫氏
司会
 ・南後由和氏
 ・藤村龍至氏
(個人プレゼンではそれぞれの思想をわかりやすく伝えてくれましたが、各プレゼンの詳細は割愛します。)
議論は若林氏の「建築は経験である」「アーキテクチュアルな権力によって構成される空間の経験とが重要」というコメントと、中村氏がSC内にデザインした店舗を中心に動きだし、議論の大枠は藤村氏の提示した具体的な二つの問い
 1、建築が場所性にどう関われるのか。商業的な論理と場所性はどう結びつけられるのか。
 2、場所性についての論理をどう変えられるか。非オーセンティックな場所性をどう対象化するか。
をベースに展開された。
その中で建築的思考の可能性が介入できることとして明らかになった2つの具体的な軸は、「SCの内部空間/批判的商業主義」と「SCのストックとしての位置づき方」だと認識したのでその二つを語りたいと思います。
・一つ目はSCの内部空間について/批判的商業主義
ここでは、SCという小さな街における場所性や、そこにかかる制約を受け入れることを前提としつつ「アーキテクチュアルな権力によって構成される空間」でどのような新しい体験を生み出すことができるのかという問いに基づく。

中村氏のプレゼン。右が中村氏設計の眼鏡ショップ。店舗間の強烈なギャップが印象的。
唯一実績をもつ中村氏は、SCの内側から制約条件を再構成して空間をつくりだした。だがそこに現れる空間の経験は明らかに周辺の店舗とは一線を画している。本人曰く商業主義的なものと距離を取ろうとしたが、結果的に商業的成功を収めるものになったという。もう少し厳密に言うと、商業主義が現在持つ手法と距離を取ろうとした結果、新しい商業主義的な手法を発見したと言いかえられる。こうした建築家の姿勢は、批判的工学主義の範疇に入るのだろうけど、「批判的商業主義」と言えるのではないか。それは空間的経験と商業的効率・成果の関係性を見出して空間を再構成する立場で、中村拓志氏の「Lotus Beauty Salon」、藤村龍至氏の「UTSUWA」などがわかりやすい例だろうか。今までの商業主義の論理に空間的な経験という価値を組み入れることで、その店舗をより魅力的かつ機能的にしている。そこにはクライアントにも通じる開かれたロジックが存在し、かつそのクライアントや思想、条件などの差異を建築に反映しているという点で固有性を生み出しており、非常に面白いと思う。
ただ、SCに話を戻すと、あくまでもSCという小さな街の中での出来事であって、そのSCが建つ街との関係を考えると射程が短い。
・二つ目はSCの街での位置付けについて/非場所が非場所を生む?
先日のタワーマンションとの関係で語られるべきはこのトピックだ。タワーマンションがSCと決定的に異なる点は、公共物ではないということ。都市の景観問題として批判の対象になる原因はそこにある。その土地に住む人にはタワーマンションから何のメリットも得ないから。よって、都市との関係性において、建ち方や表層のデザインという問題が特に先鋭化する。先日の北氏のスタンスもそこに基盤がある。鎌谷君がレポートした批判的表層主義もそこに反応したものだし、海外の一部の建築家が非常に表層的な表現を試みるのも、明確な都市構造においてモニュメンタリティが意味を持つからである。
一方SCは公共である(と僕は認識している)。その巨大さが街となり、大衆のライフスタイルを巻き込み、地域の構造を大きく変質させる。若林氏も述べたように、内部空間において非場所と場所が相互補完するかたちで共存することは現代のリアリティだろう。問題なのはその非場所が、周辺をどんどん取り込んで拡大してしまう状況ではないかと考える。非場所を内包する巨大なSCが出現することで、その周辺が非場所化してしまう(ように見える)現象が起こっていることが注目すべきことのように思う。場所と非場所に関する議論では、非場所を対象化すると同時にその関係性を捉えることが課題だろう。最後に若林氏の指摘した「弛緩する空間」はその関係を捉える入り口になりそうである。
SCがストックとして、街を活性化させるものとして位置づくために必要なのは、当然のようだが具体的なものとの関係なのではないかと思う。SCはシステムとして自立しているが、既存のストックとwin-winの関係を持つように再編成することができると思うし、そうすべきだ。それが芝田氏の言う周辺の参加可能性でもある。
もうひとつ、建築家はSCの存在がどれほど街に影響があることなのかを訴えるしかない。そして「批判的商業主義」の有効さを認識させると共にそのなかで、SCの経済性や、大きな内部空間というものが郊外にできるということにどんな意味があって、街と連続することでどんな新しい価値が生まれるのか、その絵を描くしかないのではないか。議論をカタチに。なんせ今議論の中心であるSCの設計を任される建築家が、どこにもいないのだから。
ニ夜のシンポジウムを通して、現時点で建築がやらなければならないこと、建築にはできないことがある程度共有された印象を持った。もちろん、できないという結論に甘んじることはできないが、具体的に議論すべき論点がいくつかクリアになったのではないかと思われる。二回ともキーワードとなった「場所性」とは具体的にどこまでを含むのか、僕はまだうまく理解できていないが。自分自身例えば各都市における場所と非場所の関係はどうなっているのかなど、調べてみたいことがいくつか出てきたので、もう少し掘り下げて行きたいと思う。
有意義な議論が聞けて刺激になりました。

archiTV/宇宙とお金

様々な建築イベントが24時間ぶっつづけで展開されるarchTV。
今回初めて参加してきました。
今日の目当ては
・アニリール・セルカン氏による「宇宙と、建築」
・丹下憲孝氏による「お金と、建築」
セルカン氏は非常に多才。一度プレゼンを聞けばわかるが、知性とユーモアに溢れ、ものすごく頭がいい。


彼はトルコに生まれ、ヨーロッパ各地で好奇心の赴くまま、既存の領域に縛られることなく様々な技術を研究し、開発し、応用してきた。と書いてしまえばどこにでもいる優秀な一人として回収されてしまうけれど、その多才さと彼の活躍するフィールドの広さはまさに宇宙級だ。現在は東大大学院建築学専攻助教。
なぜ宇宙かというと彼の作品(どちらも本として出版されている)「宇宙エレベーター」と「タイムマシン」による。宇宙エレベーターは文字通り、宇宙に届くエレベーター。もちろん今のところ実在はしない。発想はユニーク。でもそもそも何の目的で?と思ってしまう人は自分の目をもう少し先の未来へ向ける努力をした方が良さそうだ。そう、彼の目は遠い未来に向けられている。
ある仮想を本気で実現しようとすれば、様々な技術を新たに開発する必要に迫られる。事実、彼はこのプロジェクトに際して実にたくさんの新しい技術やアイデアを生み出した。このプロジェクトをきっかけに生み出されたたくさんの新しい技術たち。それをまた別の見方でどう応用できるのか、その視点がまた新たな可能性を生みだす。だからぶっちゃけてしまえば仮想は何でもいい。そこに絶対はない。強いて言えばそこにロマンがあるかどうか。無理だろうと思われることに本気で取り組む時に生まれる様々な技術がまた新しい未来を描く。彼の原動力はその好奇心が全てだ。
建築に関連する提案はインフラフリーハウスというもので、技術そのものは興味深かったが、建築との関係を議論するまでには成熟していない印象を受ける。僕の解釈では、個々の住宅レベルで自律的なインフラを持つ家を指している。もちろんその自律性に関する技術がまた興味深いものだったのだが。。インフラの自給自足と言えばわかりやすいだろうか。そんな彼の言うこれからの三種の神器は「energy,water,food」だそう。なるほど。
とにかく彼の物事を考える姿勢とそのスマートな切り口にただただ圧倒されるばかりであった。その領域を軽々と飛び越える姿にクリエーターとして尊敬する。最後に彼がくれた言葉…
            「Did you ask a good question today?」
              (人間にも、そしてgoogleにも)
丹下氏の「お金、と建築」はまさに先日の建築夜楽校の延長。

金持ちになりたいなら建築家をやめなさい。話はそこから始まった。クリエイティブに建築をつくろうとすれば膨大な時間と労力が必要となる。契約上支出と収入のタイミングのズレをマネジメントしなければならないし、コンペは勝たなければ時間と労力は報われない。加えて特に海外における建築の契約は日本の常識と大きく異なり、しまいには政治にまで翻弄され、99%つかんでいた仕事ですら平気でポシャる。そのマネジメントは非常に難しい。
それを支えるのは建築をつくる達成感と建築への情熱だけだと力強く語った姿が印象的だ。
ディスカッションタイムにおいて、archiTVの用意した3つの議題は残念ながらほぼ機能していなかったが、それでも議論はグローバル化する経済や設計を取り巻くスピードの変化の中で、建築家としてどんなテーマを持ち、かつ地域性に対してどういうスタンスをとっているのかということに集中した。それに対しては、グローバル化するほど地域性は重要になり、その場をつくっている本質を見抜きながら、やはり人間が気持ちよいと思える空間をつくることが最大のテーマだということだったが、言葉の節々に感じられた選択可能性を担保することの重要性のほうに注目すべきかもしれない。
その地域だけを凝視するのではなく、一度世界に目を向ければ地域性は発見できるという言葉は世界30ヶ国以上でプロジェクトを行っている彼ならではの実感なのだろう。
「デザインは自分の中にあるものではなく、クライアントやその場所にあるものだ。だから自分を作家だとは思っていない。建築言語はグローバルなランゲージだからそこにコミュニケーションが生まれる。その中でクライアントにどれだけ満足してもらえるか、それが最も大事だ」という姿勢は先日の山梨氏のスタンスと非常に近いとともに、シンポジウムでは迫りきれなかった建築的思考の可能性を示唆するヒントが含まれていると感じた。
現実に様々な条件や力に向き合いながら、建築が持つ豊かさを実現しようとする姿勢には、そこに集う学生達の背中を押し出してくれているような包容力があった。
こうして僕のarchiTVは(勝手に)終わりを告げたが、他大の学生と交流できたことは良い刺激になった。ブログでの発信も、もっと多くの人と話をするきっかけになればいいと思う。

建築夜楽校1/愛される建築のために

2日。建築学会主催の建築夜楽校2008に参加してきました。
二夜にわたるテーマは「グローバル社会における『建築的思考』の可能性」。
シンポジウム第一夜は「タワーマンションとグローバル・シティ」。

自宅のある武蔵小杉に出現したタワーマンション。東京に出てきてわずかの間に目の前の風景は激変。
その一部始終を体感した。

パネリスト
 ・迫慶一郎氏/SAKO建築設計工社代表
 ・大山顕氏/サイト「住宅都市整理公団」主宰
 ・山梨知彦氏/日建設計設計部副代表
 ・北典夫氏/鹿島建設・プリンシパルアーキテクト
コメンテーター
 ・東浩紀氏
司会
 ・南後由和氏
 ・藤村龍至氏
アトリエ系、組織事務所系、ゼネコン系、ライターなどバックグラウンドも建築にたずさわる状況もみな異なる。それぞれが意識的に自分を位置づけるプレゼンを行ってくれたので、立場の違いが明確になる。
主張を要約すると…
 ・迫氏は中国を中心にタワーマンションなど超大規模プロジェクトを手がけ、東京の約三倍というスピードのなかで建築をつくる困難や先鋭化する問題を語り、「強い建築」を目指していると述べる。
 ・大山氏は”観察者”として工場や団地、ジャンクションなどある種都市の中で自然化したように見える都市構造物への萌えを語る。この”自然化したように見える”ということが後に重要な論点になる。
 ・山梨氏は様々な条件を再構成し、建築を含めた全体をシステムとして提示することが自分のやるべきこと だと語る。最適解の集合として提示されるシステムは、タワーマンションという前提を受け入れながらも既存の枠組みを改変しつつ新しい可能性を示唆。作家としての自分自身では完結しない広がりを持つと語る。
 ・北氏は建築的美学という観点からタワーマンションを手がけ、商品としてのマンションの要望を満たしながらも、建築の佇まいやプロポーション、ディテールなどに現れる、美しいということのサステナビリティを語る。
議論の構図上、皆それぞれの役割を意識して自分のスタンスを明確に表現しており、東氏・南後氏・藤村氏を交えた議論が進む中でしだいに論点が明確になってくる。
大山さんの萌える基準についての議論は、人間のコントロール下にあるものに対して抱かれる”美”と、人間のコントロールが及ばないものに対して抱かれる”崇高”の話へ発展し、もはやコントロール不可能な金融や経済の論理から生まれるタワーマンションなどの建築を建築家が作家としてどうコントロールするかという問いは無効であるということが明らかになっていく。
ではそのようなコントロール不可能な力の前で建築家がすべきことは何か。
それはグローバルで巨大な力によって生まれんとする建築を、前提を再構成しながらできるだけサステナブルなものとしてその場に定着させることではないか。そしてそこで生まれる差異が、自動的にできてしまうように見える建築をその場に位置づかせる契機になるのではないかということまでは共有されていたと思われる。各々の建築家を見てみると、設計のアプローチは異なれど、それぞれに自分の信じるサステナビリティへの関心がうかがえる。
迫氏の言う「強い建築」は、都市化が猛スピードで進み、周囲が変化し続けるであろう中国において彼が見出した、ある種規格化された設計手法やグラフィティカルなファサード表現など、周辺の開発を誘導し、かつ周辺住民に受け入れられるための戦略である。
山梨氏の言うシステムはタワーとして計画されていたものが最終的に低層のボリュームに再構成されたなど、建築的思考が持続性のあるシステムを生み、プロジェクトの在り方を変えた飯田橋ファーストビルの例が強い説得力を持っていた。(しかし、建築の発想がユーザーとオーナーという立場からに特化しているように見え、できたシステムそれ自体は完結するように見えたのが気になった。)
北氏が主張する美しさのサステナビリティは、地域性との関係について明確な話はなかったが、建築が都市にどう現れるのかという関心は山梨氏と対比的に見ても興味深い。
それぞれのサステナビリティに対する取り組みがグローバリゼーションと地域性を考えるうえでひとつのポイントになる。今回のテーマ、タワーマンションというビルディングタイプを通して先鋭化した問題の一つは、サステナビリティと地域性であった。
言い換えれば皆それぞれに「愛される建築」を目指していると言える。これは当たり前のように思えて、実はとても本質的な認識なのではないかと思う。愛されるとは位置づくということ。位置づけば建築を使う主体や使われ方は発見される。グローバルなフローによって生まれる建築の持続性の鍵はローカリティにある。ひとまずその認識のもとに、どういった可能性が見出せ、どんなローカリティが建築の設計時に先鋭化するのか興味がある。またその際に、経済や法規といった実際の様々な深層的条件と直接対峙することのできない学生の立場としてどういうスタンスをとることができるのか、考えてみたい。
様々な立場で実際に設計に関わっている方のレクチャーは本当に刺激的で興味深かった。
次回の「ショッピングセンター」が非常に楽しみです。

小旅行

午前中に起きて突然思い立ち、21-21・「祈りの痕跡展」へ。
久しぶりに街に出るとわくわくして仕方が無い。気温も下がってきて外に出るにはいい季節になってきた。気がついたら陽射しは秋のそれに近づいている。忙殺されて気付けば夏が終わりかけているが、僕にとっては都合がいい。それでもまだ暑すぎる。。
展示では文字はもともとは三次元なんだという当たり前のことに改めて気付く。微差がありながらも同じ形式を守り、大量生産して羅列するものが多かったのは、まさに文字(記号)の特質そのものだから。元棟梁のおじいさんが引退後、雑紙でつくり続けたという封筒(5,000枚!のうちの700枚が展示)は不思議なオーラを放っていた。
ナポレオンの腕木通信という面白いものをはじめて知った。
21-21は今までにも何度か足を運んだが、空間の構成が建築によって強く主張されているから、それぞれの場所性が強すぎて、違う展示をやっても逆に均質化してしまっている気がする。動線が一筆書きだからシークエンスも一緒だし。動線は同じく一筆書きでも、僕が大好きな神奈川県立近代美術館は、各場所が個性のある非常に豊かな空間を持ちながらも切り替えと連続にリズムとタメがあって、もっと自由な気がする。ストーリーが常に再構成可能な、離散的な方が面白い。21世紀美術館とかやっぱりいいと思う。


学校に戻り先輩が担当する住宅の見学へ出発。上棟が済んだ段階。数字で聞く延床面積と目の前にある建築の広さが一致しない。一般的には決して広くない面積だが、縦長に抜ける空間はかなりインパクトがあって気持ちいい。模型作成時から思っていたが、小さい空間に大量の言語が投入されていてかなり挑戦的な建築である。竣工時も是非見に行きたい。
その後は塚研先輩同期とぶらぶら。 ノリでおみくじひいたら大吉だった!
いいことしか書いてなかったからお守りにします。
注意書きには…
「大吉だからと言って、油断したり、高慢な態度を取ったら凶に転じます。」だって。気をつけます(笑)


休憩に入ったカフェで建築談義。非常に面白い。ラフに言うと、建築は当然、社会制度・経済・法規といった様々な条件と向き合うことになるが、そういった部分と建築の空間を考えるプロセスは一度切断した上で、空間で思考・解決する方が建築的イマジネーション(空間的思考)を発揮でき、自由な空間をつくれるのではないかという考え方と、それを建築設計のプロセスに組み込むことこそが新しい建築の可能性を開くという考え方に分かれる。
この議論の伏線は建築が効果という言葉で説明されるという点にある。自分なりの解釈では
・前者は後者に対し、できる空間が目的を叶えるために奉仕するかたちになり、デザインの質や身体性は改善されていたとしても、よりストレスレスな、身体に優しい強力なアーキテクチャーの構築に加担しているに過ぎないのではないか、と主張。
・一方後者はその効果を生むため、経済などの条件と格闘するプロセスを設計に組み込むことが新しい建築の空間を生み出す可能性をもっていると主張。
自分自身はどちらかと言えばやや後者寄りだが空間のイマジネーションがつくり得る建築の、自立した価値体系も必ずあると信じている。ただそれだけで経済等を相対化できるというほどの信頼は持っていない。後者は建築を社会に接続するために有効で、かつそういった社会のダイナミズムとのコミュニケーションから新しい建築像が現れる可能性も感じる一方、それが単に建築が人間をより効率的にコントロールするためというロジックに回収されるのを乗り越えないといけないだろう。こういった視点で現在の建築の状況を整理しなおしてみようと思う。

丘を目指して/多摩美術大学図書館

11日、夕方学校を抜け、多摩美へ向かう。
菊名でJR横浜線に乗り換えて橋本へ。序々に風景が郊外っぽく変化していくのを感じる。どちらかというとなじみのある風景。橋本駅で降りてさらにバス。多摩美関係のバス停がいくつもあってどこで降りていいのかわからなくて焦る。が、バスの運転手に色々質問する感じはちょっとした旅行の感覚を思い出させた。また旅をしたいという強い衝動にかられる。多摩美の図書館が見えてすぐにバスのブザーを押したら、学校の入口から遠い中途半端なところで降りるはめに。
まさに「丘」としか言いようのない丘がぽこぽこ重なりあうようにして風景ができている。日は暮れかけていたけどすごく気持ちがいい。正門を抜けると左手に少し急なスロープが伸び、矩形の建物が丘の上にランダムに建っている。その一番手前に多摩美術図書館がある。

図書館は斜面を飲み込んでいて、外壁と平行に伸びる外のスロープと非常にいい関係をつくっている。天井は水平だからスロープの終わりほど天高が低い。天高の大きな手前の空間はテーブルや丸い球状の椅子が散らばって人の居場所ができている。梁にはスクリーンやプロジェクターが隠されていたり。斜面を利用して客席をつくったりできるのだろう。広い空間において自由に移動できる家具が人の動きの軌跡をとどめる様子は西沢立衛氏の30代建築家100人会議の時のスツールを思い起させる。

ガラスで区切られた図書館領域へ入ると新刊雑誌コーナーと個別AV、PCスペース。斜面に沿ってにまばらな映画館の座席みたいにブースが並ぶ。椅子が気持ちよくてきっと寝てしまいそう。スロープを下りきった隅に大きなベンチのようなベッドのような家具。普通に学生が寝ている。いつも誰かかれかが横になったり普通に寝たりしているらしい。公共の施設には寝そべったりする場所なんてなかなか無いから、いい場所だなと思った。ガラスの向こう、外の芝生にも学生が寝そべっている様子が目に浮かぶ。丘がそのまま建築に取り込まれたような連続性のあるのびのびとした一階。
二階は一階とうって変わって、非常に静かで落ち着いた雰囲気。行った時間帯(夕方)も関係あるかな。二階の床は水平だから、一階と比べると視線が自然に上に向かうように錯覚して、とても大きくてすっきりした空間に感じる。実際天井は高いが。単純な幾何学で制御されないアーチは居場所によって色んな重なり方をするからおもしろい。樹々をすり抜ける感覚と似ている。夜だったから外はあまり見えなかったが、樹々の葉が近い。景色が開ける側と、大学の建物やキャンパスなどが見える側では全然見え方が違うのだろう。外周にまわされた外向きの机が気持ちよさそう。昼間を想像してみる。イチョウの葉のようなプリントが施された大きなカーテンから透ける光は、学生の間でも評判がいいそうだ。
中をぶらぶらする。緩やかに曲がる本棚に沿って気付かないうちに結構歩かされている。緩やかな曲線を描いて伸びる低い本棚ごしに全ての空間と外の景色が見渡せる。うねる本棚とアーチが生む体験は新鮮。

本棚が低いせいで、大型の美術書なども全部しゃがんで見て取り出さなければならず、不便な感じもするが、一方で低さゆえに本棚の上に本を広げて眺めることができたりという振る舞いが自然に生まれていているのはいいなと思った。
ただ、二階建ての閉架書庫が奥に詰め込まれていたり、カウンターまわりにいわゆる普通の背の高い本棚がズラッと並んでいるところとか、図書館としてうまくいっているのかは疑問が残る。全体的に図書館という機能や物理的な本の存在は二次的なもので、中身は何でもよさそうに見える。本棚のスタディも、建築がフィックスしてからの話だったように思う。そういう意味でこの建築は自立している。建築が自立する自由さと脆さみたいなものを感じた。建築の性能だとかその使われ方だとか、そういった要請や条件は決して建築をつまらなくしたり、不自由にさせるものではないだろう。それらが両立する状態、補完しあう状態というのが必ずあるはずで、それは単に合理的という言葉では説明できない豊かな状態を生み出すはずだと思うのだが。
多摩美内をふらふらさまよった後、テキの友達の展示を見てそのまま一緒に居酒屋へ。独特なマイペース感は話していておもしろい。
終電手前で学校に戻る途中、JA70刊行記念パーティと称するものがまさに始まろうとしていると後輩から聞き待機。こぢんまりと集まった4人でさっそくJA70について議論。大いに笑いながら議論はすすむ。早く手に入れないと。
解散後は研究室で朝まで一人模型作り。別に一人で頑張っているのだといいたいわけではなく、ただ夕方抜けた償いに、飲んだ体で仕事をやっていただけのこと。。
建築も見れたし、刺激的なことが目白押しな一日でした。

ザハ/過去の設計から見えること

午前中にザハのシャネルパビリオンへ。

藤村さんの呼びかけで15人くらいの建築学科生が集まっており、僕は初対面の人が多かったので色々挨拶。ザハ建築を実際に目にするのは初めてだったが、ぬるりとした物体が代々木体育館のそばに横たわっているのはすごい光景だ。どうしてもテーマパークのアトラクションのようにやや安っぽく見えてしまうのは、周辺があっけらかんとした公園だからか。東京より一足早く公開された香港の映像を見ると、光り輝く高層ビル群に囲まれている光景は圧巻で、そういうシーンの方がかっこいい。日本にはこれほどの規模のものを許容する空間が都市の中になかなか無い。(香港も港付近だったが)移動パビリオンの一連の移動は各都市の構造や性格の違いを浮き上がらせてくれそう。新宿とか銀座のど真ん中にあることを想像すると楽しい。六本木とか?
外装はFRPと聞いたが、あのパビリオン全体でなんと20億円もするらしい。。
以下、簡単な感想。
マネキンのようなスタッフが入口まで誘導。渡されたMP3から流れる小野ヨーコ(?)の不思議な声に導かれ、前の人と時間差で一人ずつ中へ案内される。MP3の誘導はザハの建築がもつ空間の流動性とよい関係を結んでいるとは言い難く、身体は拘束されるがごく普通の音声ガイドの域を出ない。同じ音声を時間差で聞いているので、同じ動きを時間差でほぼ無限に繰り返される光景やそこで生じる各人の反応-しだいに指示を無視しだしててきょろきょろする人、わき目もふらずまじめに誘導される人、最初から笑いだす人-によって色んな個性の発露が垣間見られる様は興味深い。うねる壁が腰掛になったりテーブルになったり、自然に身体に寄り添ってくるような感覚は新鮮だったが、展示が区切られていて見通せるパースぺクティブが無いからか、CG動画で見られるような流動性はあまり感じられない。ひとつながりのぬるっとした空間に対してアート作品が「点」なのが気になった。個々のアート作品にはいくつか気になるものもあったけど、特に後半は空間も間延びして(少しずつ明るくなっていくから?)、緊張感を欠いていたように思う。夜の方がいいかも。
夕方から研究室の新歓プレゼン。
学校の設計課題3題とコンペ作品1題をプレゼン。設計課題をさらっと説明し、全ての設計を通して社会の中でどう建築が位置づくのかということが常に自分の関心にあるとまとめた。かなり漠然としたままであるが。。藤村さんからは、形式性が強く残っているように見えるが、形式についてどう考えているのか、それが社会との関係を語る上でどういう意味を持っていると考えるのかと問われる。
形式は様々な条件を、建築に変換するための「仮定」であり、そのスタディを通して全く別の形式に移行するかもしれないし、形式の純度が落ち、形式があやふやになっても構わない、つまり形式性が明確に残ることを意図しているわけではなく作業仮定とも言えると応答。ただその形式の飛躍や新しい建築言語が生まれる前に設計が完了してしまっていることも事実。結果的に形式が強く残る。自分も設計しながら自分が仮定した形式から結局抜け出せていないことを歯がゆく思っていた。結局全て内部の空間体験から形式を導いているのではないかという指摘も確かにその通りである。緩やかにカーブする壁、不定形なグリッド、折れ曲がって積層するスラブ…全て内部の体験を考えたうえで設定された形式だ。果たしてそれは社会と建築を結ぶものとして説得力を持ちうるのだろうか。
形式の設定が内部の体験に依るものであることの結果として、外観が無いのでは意識されていないのではとの指摘も。確かに自分は建築図面で表現される立面をあまり信用していなかったように思うが、外からどう見えるのかも体験だという先生の指摘は示唆に富む。
過去の作品を並べると見えてくることがある。建築の形式性と外観について大いに考えさせられた一日だった。貴重な時間を割いてくれた先生や先輩たちに感謝。

高円寺日和

目覚ましをセットし忘れたまま研究室の床で寝ていると先輩がギリギリのタイミングで起してくれた。外は快晴。体調は最悪。何はともあれ高円寺へダッシュ。
藤村さんの「Building K」内覧会である。
駅を飛び出し狭い商店街に入る。接道ギリギリにひしめく小さな商店の中にそれは突然姿を現した。
模型を作っていた時は気づかなかったが、高円寺の狭い道、商店のスケールにとってセットバックはかなり効いていてほとんど道の溜まり空間になっている。4本のコアのみの一階部分は非常にすっきりしている。近隣住民が安全確認をしたがるという話もうなずける。敷地の奥までガラスで見通せるのがとてもいいと思った。上部のガラスから奥の敷地の植栽などが顔を出す様子は新鮮だ。「Building K」は4面セットバックしており、隣地とは商店街とほぼ同じ幅の通路が取られている。この引きのせいで、ぐるりと回ったガラスの周りに光や空気がまわっているのが感じられる。晴れていたこともあって非常に明るく爽やかである。

全面ガラス、セットバックという「建ち方」はミニ・ハウスやアニ・ハウスで試みられた4面セットバックを商業・集住空間で実践、応用したものとして捉えることができる。一般の人は入り込めない個人住宅に比べ、商業施設はそのヴォイドが実際にその機能を支えるものとして有効に機能し得るし、店舗の在り方としても色んな使い方が想像できるという意味で、ヴォイドの扱い方としてレトリック以上の説得力がある。住宅規模の粒ごとの更新に加え、商業空間や集合住宅におけるヴォイドの扱いを考えれば、ヴォイドメタボリズムの文脈に位置付けられそうだ。(そしてあるスケールを超えると都市においてヴォイドはコア的なものに変化するということも言え、ヴォイドメタボリズムが循環する)町並みが変わっていく可能性を秘めていると感じた。

メガ梁が室内で露出しているのは、建築の在り方のヒントを示すためだという。だったらなんで廊下は見せないで室内だけ?って友達が言っていたが、それだとただの表現に回収されてしまう。室内なら棚にするなど、人間が関与できる。ということで納得。住戸部は面積的にはそれほど大きくなく、むしろ狭いくらいだが、玄関から廊下、室と全て微妙に天井高が異っていて変化がある。窓枠とかも細かい調整がなされており、高さの違う窓は高円寺の風景を切りとる。(窓枠が一回り小さいため正面からはサッシが見えない)

屋上は陽射しと植物、白っぽい外壁のせいか非日本的な感じ。奥の建物が5FLと同じくらいの高さで、かつ長手方向に抜ける路地からは高円寺の町並みが見えるので、端部にいかない限りあまり地面と離れている気がしない。まさに人工地盤。ちょうど高円寺の町並みがヴォリューム群と連続しているように見えてなんだか安心感のある高さだなって感じがした。駅のホームが見えたり景色は最高。

全体的に、様々な条件に無理なく最適解があてられているように見えて、その集積が無理矢理統合させられているのではなくドライにそのままたちあがっている感じ。違和感なく自然に存在しているように感じるのは、(自分が模型作りなどに関わっていたということがあるとしても)様々な潜在的なコンテクストが高円寺の町並みなどの顕在的コンテクストとともに拾いあげられているからなのだろうか。
東京の外から来た僕は東京を「都市」というひとくくりで対象化してしまっていたけれど、ここもローカルの集合なのだということを最近認識できるようになってきた。Building Kからもそれを強く感じることができる。それは同時に自分が生まれ育った場所と東京を同じ枠組みで捉えることができつつあるということかもしれない。まだ具体的に言及できないし、抽象的な言い方しかできないが、東京と郊外、そして自分が生まれ育ったような場所(東京に対する郊外とは鉄道の在り方から定義されると思われるから僕の地元釧路のような場所とは区別する必要があると考える。それについては「新・都市論TOKYO/隈研吾+清野由美」による。ちなみに、ここで隈氏が語る郊外、ヴァーチャリティ、リアリティに対する理解は僕の解釈と非常に近くて安心した。何か糸口がつかめそうだ。)を同時に捉えられる枠組みを見つけることができるんじゃないか。そう考えている。
K Buildingを見終わって、気づけば体調も回復、テンションもあがって先輩とゆっくり食事。行きはダッシュだったから気づかなかったが、駅のホームから良く見える。優しく佇んで見えるのは僕のひいき目のせいだろうか。
すがすがしく研究室に戻ったが、この後翌朝まで不眠で作業しなければならなくなることを、その時の僕はまだ知らない。。

地元のためにできること、いや、自分が勝手にしたいこと



4日前に出張ででてきた親父と飲んだ。
親父は地元の釧路で医者をしている。地域医療のために戦う熱い医師だ。ニューヨークで出会ったある医師に共感し、エイズの予防啓発を目的とするイルファーという組織の地域支部、イルファー釧路を立ち上げ、地元の若いバンドたちに協力してもらったりしながら地域でイベントをやったり各地で講演をしたりしている。様々な人の支えを受けながら精力的に活動しているようだが、一方でこういう組織は常に新しい風を必要としている。マンネリ化してはいけないのだ。協力してくれた若いバンドのメンバーもいずれは釧路を離れてゆくだろう。持続性のあるループを作る必要がある。それは釧路のように若者が外へ出て行く地方都市において様々なレベルで必要なことだ。
自分のように釧路を離れ、どこかで何かを学んでいる者が、学んだことを活かしてイベントを盛り上げることはできないか。なんらかのイベントを新たに巻き起こすことはできないか。釧路の文化を担っているのは街の数少ない古着屋のおにいさんであったり、新たにカフェやバーを構えた若い人たちだったり、非常に小さいけれど、人と人が直接つながっていられるという小規模ならではの強度をもっている。地元で先生になって、たくさんの生徒とつながっている友もいる。そういう顔の見えるみんなのそれぞれの活動をつなぎとめるループをつくりだしながら、新たな釧路の、持続性のある文化を生み出すことはできないか。その必要性を勝手に感じ、何人かの仲間に連絡を取って、具体的な考え無しだが思いだけは伝えておいた。釧路は20万人都市。メディアもうまく使えばたった一つのイベントが全地域を巻き込んだムーヴメントを巻き起こす可能性がある。色んな分野で社会に出た仲間も、協力してくれるだろう。色んな人が交流できる場になることも期待したい。来年の夏に向けて構想を練っていこう。ライブ会場は港にある古い倉庫。そこにあるものを使って何ができるのか、色々イメージが湧く。音楽で、映像で、家具で、人間の振る舞いで、そこに参加する人たちと共にどんな空間をつくることができるのか、とてもチャレンジングで楽しみだ。

コンペを通して思う

三井のコンペ(3/31締切)を終えて。といっても時間的に提出締切日が終わっただけで、自分が参加したわけではないことを先に言っておかねば。。
一週間ばかりを費やした九州旅行(これだけ短期間に多量の建築を見ると興奮とあまりの情報量に頭がパンクしそう。まだ全然消化できてない)から3/24に東京にもどり、結局実家に帰省する時間とお金が無いことから断念し、ふと思い出した三井のコンペ。締め切り時に帰省予定だったためあまり頭になかったが、なんとか出そうと途中まで考えたこと。
三井コンペ(三井住空間デザインコンペ)は分譲するマンションの一室をデザインするというもの。今回が第5回目で、毎回テーマと面積が異なる。今回はプレファミリーや若いファミリーを対象に親と子が新鮮な感性を育みながら生活するためにうんぬんというテーマ。床面積約80㎡。初見より、子供と親という提示された関係を、いわゆる文字通りの小さな子供と若い親として対象化し、どうやって豊かな関係を持ちながら楽しく生活するかということで考えをスタート。非常に柔らかいテキスタイルのような間仕切りや腰壁による分節、床座中心のライフスタイルの提案などいくつかの方針案…ただ途中で、自分がイメージし、映像化の対象にしていたのが先に言った通り若親と小さな、それこそ幼稚園児とか小学生でしかなく、この物件が賃貸ではなく分譲だということを再認識すると、本質を突かないままイメージだけで終わると確信。
よって方向性が、家族の人数や関係を建築側がfixする状況を乗り越えようという方向にシフト。これは「私たちが住みたい都市」(平凡社)の松山巌×上野千鶴子の討議、「プライバシー」より
○そもそも2DKは賃貸を前提にした仮住まいのモデルであった。
○住宅公団は当初、家族人数の増加による住み替えを想定していた。
○住宅不足、家族の経済状況の中で理想通り住み替えが行われなかった。
○最終的に分譲形式で資金を回収しなければ住宅供給が滞るという状態に変化したことに伴い(1979年、賃貸と分譲の住宅供給が逆転)、仮住まいではなくなったnLDKが家族の構成を事実上制限する装置として働き出す、を背景とする。
nLDK批判というと言いまわし自体がnLDKにのもこまれている気がして好きではないが、家族の構成変化とか関係変化をポジティブに空間化できれば、と思う。もちろん面積的な制限は大きい。
そこで思い当たったのが「梅林の家」/妹島和世、と「ガクハウス」/アトリエワン。両者とも行為に対応する非常に小さい部屋の連続で構成される。家族の人数と部屋のあり方一対一対応せず、行為で空間が分節される。ガクハウスの方は室が直線的に連続するため部屋の隣接関係は変わらないが梅林は開口の操作によって隣接関係を変化させる可能性を持つのではないか。
 
(梅林の家をつくってみたりした。狭いながらも部屋の隣接関係がおもしろい)
室の隣接関係の変化が家族の構成変化を許容し、例えば模様替えみたいに部屋の割り振りを変化させるだけで家自体がまた違った表情を獲得できたり、ものをどう扱うかということと合わせて生活のイメージが説得力を持ってたち現れれば、単身者だけでなく、家族が住む集合住宅、マンションのオルタナティブとして魅力的ではないかと思う。今回は参加できなかったが最終的にどんな作品が評価されるのか楽しみにしていよう。

実験的スタート

日々の経験や思考の足跡を整理して残すこと、そこから自分のスタンスを確認すること、自分の創作にフィードバックすること、そういった軌跡を発信すること、を目的に実験的に進めて行くつもりです。なるべく近いうちにmixiと連動させて知らせたい。自分の電子エスキス帳であることに変わりはないけど、色々な考えや思考を伝えることで、何か新しいものを生み出す原動力になればいいと今は思っている。
ではさっそく…17日。
某設計事務所のパーティで色々な建築関係者と話す機会があった。日建設計や色々なアトリエ系建築事務所のスタッフ、大学の先輩後輩などなど。
前から挨拶したかった人に挨拶できたり、たくさんの初対面の方々と話すことができて充実していた。何度か参加させてもらったパーティの中でも一番充実していたかも。色々話すことができるようになってきたからか。。日建設計の人は建築に対する熱い想いを熱く語ってくれた。言うまでもないけど、ゼネコンだろうがアトリエだろうが、熱い人は熱い。建築に夢を持っていることが伝わってくる。建築家はリアルに経験したことじゃないと設計できない、或は経験の伴わないものは強度が低いから、実体験をもとに自分の信じられることをするべきなんだということだった。一体今どれだけリアルなものを建築家はつくれているのかという問いを発していたように思う。イマジネーションの問題でもあると思う一方、先日見に行った仙台日本一決定戦で起こっていた議論と通じるところがあるのを感じた。
3/9、講評会場の仙台国際センターでは内的建築と社会派建築という二つの枠組みで議論が進んでいた。内的建築代表は日本二位になった作品。彼女は表現こそ違うが「自分のことしかリアルに感じられるものは無いし、だから自分のための建築しか考えられない。卒業設計は皆なんらかの問題を探し、それに対してどう応えるかというアプローチが多いが、実際そんなに問題だと思ってないんだろう、自分がそれに対して関心があるように装っているだけだろう、みんな嘘つきだと主張。一方講評会の議論に従うと社会派代表に位置づけられていた早稲田組は、問題発見までのアプローチは丁寧で力が入っているが、建築はそれに応えきれていない印象を受け、結局巨大なインフラが好きだったんですなどと言ってしまう始末。これを見てしまうと彼女の主張は実際そんなに的を外していないように思える。(もちろん建築的なイマジネーションはもっと広く開かれているものだと思うが。)卒業設計講評ではつきものの、「とにかくこういうのがやりたかったんです」型と「問題解決」型の対立。議論はいつもその二項対立になるが、両者はそんなに違わない。「こういうことがやりたい」という感覚や価値観を持つ自分が社会の中にどう位置づいているのかということが重要であり、そういう自分が社会の何を代弁しているのか、私の声でしかないのか。問われるべきはそこだと思う。そういう意味では、伊東豊雄氏だけがその議論の二項対立に対し、「身体感覚の違いの問題だ」と再三述べていたことが印象に残る。(内的建築に未来は無いと、社会に対してメッセージを発しようとする建築の在り方を肯定する貝島氏に対し、だからそれはあなたの身体感覚の問題だと繰り返した)
身体感覚、それは物理的な感覚はもちろん、社会という空間でのそれも指す。
自分の身体感覚に自覚的になることが、設計にとっても、作家性にとっても非常に重要だと最近感じている。