切実さとは

友達に連れられて、「ミジカド-mizik(音楽)+kado(贈り物)-」というチャリティーコンサートに行ってきた。
ハイチに小学校をつくるなどの支援を行っている「ハイチの会」という組織が主催している。ハイチは内政混乱・物価上昇・高失業率・ハリケーンといった天災など、非常に多くの深刻な問題を抱えているらしい。
セスラというのはマリクレールという方が自邸を開放してつくったハイチの学校(といっても最低限の設備すら整っていない)のことで、500人もの子供たちの教育を支えている。しかもほとんどの生徒は教育費を納めることができていないという。
「セスラの会」とはそんなハイチに対し、教育体制の整備などをはじめ、様々な支援を行っている組織である。
誘ってくれた友達の友達が参加するというのでたまたま便乗したわけだ。
魅力的なみなさん

参加したのは5つのバンドで、若い人たちが多く、非常にパワーがあった。久しぶりに生の演奏を間近で聞いて、正直技術的なこととかあまり自分はわからないのだけれど、ものすごい衝撃を受けて、数え切れないほど鳥肌がたち、三回くらい本気で泣きそうになった。
皆生き生きと輝いていて、何よりも心から楽しそうだった。
自分の身ひとつが全てという表現者の切実さとそうであるがゆえの強さが伝わってきた。
「ハイチの会」の活動も切実さに溢れるものだった。その切実さがこれだけ多くの人々を動かしている。
今建築家が、建築界が考えていることにはどれだけの切実さがあるのだろうか。建築学生の僕が今まで学んだことといえば、思想的な部分に終始していてテクニカルなことはほとんど身についていない。アプリケーションがいくつかできるようになったぐらい。そしてあまりにも本物に触れていない。自分が語る都市とは何を指すのか、そのどこまでを実感として理解しているのか、非常に危うい。プロフェッショナルになるにはこのままではいけない。
トウキョウ建築コレクションで東工大の吉田先輩が、日本の学生は抽象的思考が好きでエンジニアリングに無頓着だし、社会に求められていることを理解していないと批判していたのが心に残る。
親父がイルファーというNGOの釧路代表を務めていると前にブログで紹介したが、具体的な活動のひとつとして、毎年ケニアで行われるメディカルキャンプがある。世界中の医師・看護師・針灸師などが有志で参加し、1~2週間にわたり普段病院に行けない貧しい人々の診療と治療をひたすら続けるものだ。近代化の進むケニアの首都ナイロビの周辺には相変わらず劣悪な環境のスラムが広がっている。エイズも非常に多い。脚を切断するしかないほど化膿を悪化させて診察に来る人がいたりと、そこには衝撃的で生々しい現実がある。僕もまだ写真と話だけで、残念ながら実際に参加できたことは無い。
でもそこには建築家のプロフェッショナルな能力が必要とされていると強く感じている。そこにあるもので、最低コストで仮設の空間をつくるためのテクニック、その空間をいかに人にとって魅力的にできるかというデザイン。設営の楽しさとか作業の共有可能性ももちろん必要。いつか自分がやらなければならないと勝手に使命感を感じている。ちょうどキャメロン・シンクレアがそれを誰よりも敏感に感じ取り、先んじて実行したように。

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