ラッシュ

頭を整理する時間もブログを更新する時間もない。だから近況みだれうち。

アトワン作、ジューシーハウスの撮影。
オレンジの空間は想像していたのと全然違って驚いた。意外にすぐ順応してしまう。もっときついのかと思っていたが、全然そんなことはない。天高2000くらいの廊が三階まで吹き抜けの空間をL字に囲う。上下が白い空間ではさまれているのが効いている。非常に明確な分節。大きな開口から入り込んでくる外の風景すら自分のものにしてしまう包容力があのオレンジの空間は持っていた。色は本当に面白い。まだなかなか模型ではわからないなぁ。一階の目地無しテラコッタの床がすごくよかった。

帰り際、初めて代田の町家を見た。外から見ているのに内部を感じる。自分がそっち側に入って内部を体験しているような。もちろん全てが見えているわけではない。見えない開放性とは何だろう。



アスプルンドの作品集を見て鳥肌がたった。2年前に汐留に展覧会に行った時とはまるで違って見える。
数年後はどう見えるだろう。こんなにもやさしく、それでいて凛とした空間がつくれたら。

論文はシェードのかかった「パブリックスペース」を題材にしている。
都市的なスケールを持ったシェードが都市の中で、都市のどんな文脈に応え、都市に対してどんな応答をし、どんな風景をつくっているのか。扱っているものの多くは高さをゆうに20mを超えるものがごろごろ。ヒューマンスケールとはかけ離れている。機能や合理性を問題にしていないもの、モニュメントでしかないもの、明確な機能に支えられているもの。様々だ。
シェード空間の包容力と冗長性を、そしてそういうものが存在するための枠組みとは何かということに迫りたい。写真を見ないと想像がつかないかもしれない…が次の機会に譲ろう。

地元釧路の新しい総合運動施設は市民の寄付によって建てられた。もちろん全額ではないだろうが。必要なものが市民の寄付で自主的に建てられる。もちろんこのようなことが頻繁に起こるとは思えないが。
メディアをフルに使えば地方は変わる。おそらく劇的に。20万人都市というサイズそのものに何か別の可能性を感じている。建築が存在する枠組みは変わる。このできごとをどう位置づけるか。

気温が下がって気持ちがいい。春と秋と冬が好きだ。

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