夢からさめて-content-

ご無沙汰してます。
昨日卒業設計の提出がありました。無事、納得のいく最高のものを提出することができました。寝るのがもったいないくらい最高に濃厚で充実し、幸せだった夢のような4週間。力をかしてくれたみんなにありがとうをいいたい。
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「環境的コンテクストと都市的コンテクストの架橋」と、それによってできる建築、空間が常に人の居場所という視線で生成されているかということが今回の卒業設計の自分にとっての大きなテーマであったと思う。
環境的コンテクストとはそれこそ気候や地形、それらがつくりだす現象など。今回の設計敷地である釧路の場合、夏の涼しさ・冬の寒さと長い日照時間・海霧・蓮氷・夕陽・流氷・けあらしe.t.c..
都市的コンテクストとはその街のでき方や、構造、システム。もう少し広義に解釈するなら歴史的背景、生活様式、慣習要素など。
当然ながら包含関係で言うとこのふたつは独立したものではなくて、環境的コンテクストの方が少しメタ。
今の建築は、環境や自然と言えば環境共生とかパッシブソーラーとか、テクノロジーの話に傾きがちになるか、設計のシンボリックな軸として設計に伴う決定の免罪符になるか、もしくはピクチャレスクな風景を作り出すために安っぽく用いられるか、であるように思う(その点で西沢・妹島対談は僕の今の関心と非常に近くて面白かった)。それをもう少し人と人の関係、人とものの関係、人と場所の関係、人とプログラムの関係を変化させたり、発生させたり、それらの関係に、ある固有性を生み出すものとして建築をつくれないかと思ったのがはじまりだった。
都市的コンテクストとして、街の現状を考えると、全体としてはやはり人口は大きな推移ではないが減り続けてり、いわゆる地方都市の抱える問題をほとんど共有している。
駅前大通りからは商業の核が撤退し、企業営業所廃止に伴うビジネスホテルの需要拡大により、大きなホテルが立ち並ぶようになった。
ただそれは悪い変化だとは思っていない。もともと自動車交通に有利な道幅の広い大通りはもはや歩行者のものではなかったし、都市構造の変化に対応できなかった商業施設を無理矢理維持する努力ほど無駄なことはない。代わりに、ホテルであっても市街地の人口密度があがるということはそれだけで色々な可能性を見出すことができる。駅前から大通りを中心とした都市構造から、芸術館や美術館、会議場や埠頭広場、飲屋街など文化的ストックが川沿いに連なる都市構造が浮かび上がってきた。今回のプロジェクトはその文脈にのっている。
プログラムは駅前から移転する市場を中心にスパを伴うもの。
光や霧、雨などを扱う屋根が空間を分節しながら大きな市場を覆い、天気や季節、時間によって集合的な、あるいは離散的な場をつくり、様々な関係性を現象させる。そんな建築である。
23日の講評会がお披露目だが模型写真を一枚そえて。

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