ひとつの生き物



つい先日行ってきた、「歌舞伎座さよなら公演」。
歌舞伎座が改修されると聞いて以来、一度は見に行こうと、冬から立ててた計画がやっとのこと実現。なかなかチケットが手に入らず、仕方ないので一人で見に行くことに。やはり歌舞伎座最後の一ヶ月とあって、連日満員らしい。
駅降りてからひと、ひと、ひと。。で身動きがとれない。東銀座駅の小さな出入口がまるで祭りのように活気づく。老若男女、着物をきたり、華やかだねえ。近代化されていく建物にはさまれて、銀座側からちらりと見える歌舞伎座の佇まいが好きだったけど、改修案のパースを見る限り潔くもとの姿を失ったほうが幸せだったのではないかとも思います。どうなることやら。
席は三階席だけど花道の見えるいいところ。白浪五人男がばっちり見える最高の席。一番安い席にしては大満足。残念ながら講演中は写真とれず。名だたる役者のあの姿、ぜひとも紹介したかったが。
歌舞伎のあの気楽な雰囲気は、ちょっと緊張してしまうような現代演劇とはまた違う。周りのおじいちゃんやおばあちゃんなんて平気で居眠りしているし、かけ声なんかも、実際は特別な人がやっているようだけれど、面白い文化で、新鮮だった。そしてやっぱり身体の動きが、殺陣のシーンとか動きがだいぶ抽象化されてて、でもその抽象化が独特で面白い。滑稽という意味でも。


歌舞伎座はひとつの小さな街のようで、色んな立場の人が、それぞれに動いてて、そういう開放感がすごくある。役者がいて、色んな観客がいて、席を案内してくれる係員がいて、黒子がいて、売店のおばさんがいて、そうやって並べてみると、なんら当たり前のことなんだけど、なんでだろう、街のような開放感があるのは。みんな主役でみんな脇役な感じがすると言ったら、演劇モードに入り過ぎだろうか。最後の歌舞伎座を写真におさめた安斎重男さんは、歌舞伎座はまるでひとつの生き物のようだと表現していたけど、ああ確かにそういう建築ってあるなあと、もう少し言語化したいのだけど。。


次は海老蔵か。

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