あるいは彼はいかにして詩を読むようにひとりごとを言ったか



村上春樹。
大学入って初めて読んだ衝撃。彼の作品は結構読んでる。
最近読んだ「TVピープル」。
物語ってどういう風につくられていくのだろう。
素朴に心から不思議だ。
作家はどんな哲学や思想があって、どんな直感やひらめきというか身体感覚を持っているのだろう。
建築より文学のほうがより私的で自由な気がしてしまうが、それは素人の勝手なイメージなのだろうか?
ついこの前、吉本隆明さんの「日本語のゆくえ」を読みました。
装丁が気になったのと、帯にあった『いまの若い人たちの詩は「無」だ。』
というフレーズに魅かれたのと、なんだか人ごとでは無い気がして…
若い人だからではなく自分が作家という人種であろうとするならば、という意味で。
なにか自分が見たことないようなとてつもなく広いフィールドが広がっていることを感じてしまった。文学と作家の関係はどうなっているのだろう。建築と建築家の関係が抱える色んな矛盾や問題、魅力と何か似たような関係であるようにも、決定的に違う面をもっているようにも思えてくる。「新しい文学のために/大江健三郎」、「一億人のための小説教室/高橋源一郎」読み返すべきかな。当時は共通点ばかり見出していた気がするが。。
作家と作品の関係はそれだけでひとつの学問になってしまうことだけど、その関係性、スタンスが全てだと言っても過言ではない。最近よくそのことについて考える。
「作者の人間像と作品の主人公の像がどんなに似ているように思われるときでも、それが違うように描けている。」ことが近代文学の条件の一つだという。現代文学は?建築は?

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