その後の羊

その後の羊はどうなったのか。
羊牧場との衝撃的な出会いをはたした6月。ただただその事実がどういうことなのかを知りたいという気持ちだけで羊牧場に飛び込んだ8月。あっという間にたどりついた10月、も終わり。
そう、8月に僕は羊牧場で何日か生活することができた。研究のため、とは言ったものの、建築の研究はいつもサイエンティフィックとは限らない。ただ、彼らがどういう世界で生きているのか知りたくて、ほんとにそれだけと言えばそれだけだ。だから、一応建物の実測とか、事前に計画できそうなことを申し訳程度に予定表に書き込む以外、行ってみなけりゃわからない、体当たりの滞在だったわけだ。
そんなわけのわからない僕を受け入れてくれたシューゴーさんとアイコさん、そしてかわいくてやんちゃなパブロくん(本名は羊牧場のブログ『未知の道』参照)には本当に感謝しています。
8月の滞在から、この文章までだいぶ日があいたのは、特に理由があるわけではなくて、そろそろ書きたくなってきた、ただそれだけのことです。おそらく、帰ってきてすぐだと、あまりにのめり込んでるというか、感情移入しすぎているというか、そういう意味で、自分が思ったこととズレたことを書きつづってしまいそうな危うさを、なんとなく感じていたからかもしれません。ほとんど条件反射のように、本当にそう思っているのどうかかわからない、意味のない言葉をカメラに向かって発し続ける、興奮気味のテレビレポーターのようなと言ったら、もっとわかりにくいだろうか。。
それはさておき。
牧場での数日は、客観的に見たら、なんだか滑稽な共同生活だったかもしれません。
羊の移動を手伝わせてもらいました。
畜舎を直すために、ジャッキやバールやインパクトや、何やら不思議な大工作業。
羊の仕分け。
大盛りのごはん。
実は快適な住居。
シューゴーさんが時折弾くピアノ。
いっぱい遊んでくれたパブロくん。
背中がめちゃくちゃ痛いテントでの睡眠。
テントを出ると真っ暗で何も見えない、でも満天の星空。
明るい月。
おいしい牛乳。
最初の夜のビール。
写真を撮りに近づいただけで、一匹ついてきてしまったらもう大変、突然始まる羊の大移動。
蚊。
堆肥のにおい。
なかなかうまくいかない毛糸づくり。
むぎ茶。
お菓子。
上士幌にいる、ユニークな移住者のみなさん。
題名を忘れた、とても素敵な絵本。
僕は話がしたかった、面と向かって。面と向かいたいと思うのは、沈黙がすごく大事だから。言葉を話しているときと、沈黙しているときと、どっちの情報量が多いだろう。僕が羊牧場でした会話は、どちらかというとそういう類いのものだった気がする。
僕は色々と誤解をしていた。現実はやっぱりいい感じに複雑で、浅い想像力なんて簡単に超えてしまう。そのことがすごく嬉しいわけだけれども。色んな発見があった。
6月に訪れたときの、羊牧場の断片的な情報は、いくつかの角度から僕を魅了した。都会を離れて、自然に囲まれた新たな生活。その決断。羊飼いということ。羊にまつわる色んなエピソード。趣味である音楽。セロ。ピアノ。簡素すぎる住居。神殿のような干し草置き場。丘をゆっくり動くモコモコの羊。その目。
そして想像した。
羊飼いが、たまに広大な牧草地の中で音楽を奏でる。そんな光景が目に浮かんだ。畜舎に隣接された住居は、そうするよりなかったんだろう。ロマンチックなだけじゃない、現実的な問題だって当然ある。そんな具合に。
でもそうじゃない。セロはもうあまり弾かない。現実の色んなことを忘れて、音楽の世界に入り込む、そのことが以前ほど大きな意味を持たなくなった。音楽は相変わらず彼らのそばにあるだろうけど、逃れるべき現実は無くなった。向き合っていたい充実した現実がそこにある。似たような話を、他の移住者に聞くことができた。ある人は、移住してくる前にやっていた趣味をすっかりやめた。長い間その人のアイデンティティであった趣味。それがもう絶対ではなくなった。
「羊が遠いよ。」アイコさんが何日目かの夜にふと口にした。
牧草地の真ん中におかれたバスで生活していたことのある彼ら。文字通り羊に囲まれていた。またあいつが鳴いてる、あの子の様子が少し変だ。すべて手に取るようにわかった。羊に囲まれて眠った。それに比べて今の家は羊から遠すぎる。玄関を出て10m歩けばパドックがあって羊がいる。でもきっとそういうことじゃない。
「羊が遠い。」その一言が、牧場という言葉にまとわりついていた色んな常識とか既成概念とか、建築的に言ったら牧場という形式とか構成だとかを、一気に吹き飛ばした。

4 Comments

  1. says:

    2010年10月31日 at 2:55 PM

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    久々のエントリーだねー!
    いつもながら、みやの文章って精密な詩のようだね。なんでか不思議な気持ちになる。
    これからどうやって具体的に建築されていくのかが気になるところ。わくわく!

  2. mi says:

    2010年10月31日 at 6:53 PM

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    おー、久しぶりー。
    実は修制は、語り方をだいぶ変えたんだ。2回前のエントリーでかいたことが大きな枠組みになってる。まあその時は、それまで考えて来たこととうまく接続できてなかったんだけど。。ただ羊牧場で過ごしたり、移住者の人と話して感じたことを表現するために、その枠組みの中の登場人物として、設計に反映させようと思ってる。と、自分で言ってもわかりにくいだろうと思うんだけど(笑)
    観光と農業を背景に、新しい都市像を考えることが、このプロジェクトと社会との関係を直接に説明する大枠なんだけど、その時に、こういう場所(例えば北海道とか農村)が、色んな主体がユートピアを投影する投影面になっているということが、設計にすごく影響を与えると思うんだよね。とにかく、もうちょっとかたちになったら、一回見せるよ!
    そっちはどうだい??

  3. yossy says:

    2010年11月8日 at 12:55 AM

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    是非ぜひみたい!かたちにならないと、おれもうついて行けない(笑)
    エントリーを読み直して、みやの問題意識・大枠は理解したつもり。もはや、空間だけで解決できるような問題じゃないんじゃないかって思った。みやは政治家として、観光にまつわる新都市像を示そうとしていると同時に、建築家として、空間による答えを出そうとしてるんだろうね。おれには、空間で答えが出せるのか、ぜんぜん想像つかないよ(笑)設計する建築のプログラムって一体なに??観光センターとかそういうのじゃ当たり前だし、移住者用の住居兼○○っていっても、そういうすでにお膳立てされたものを、移住をするほどアクティブな人たちが気に入るかもわからない。なんてね、つまりみやがそこをどう建築していくのかに、わくわくしているわけです!
    登場人物の話はすごく良くわかるよ。難しい話も、登場人物(しかも実在の。)の目線で語られるとその人の生活に入り込めるし、そういう風に空間までも語れればすごくすてきなものになりそう。
    とまあ、言うだけ言ってみた(笑)
    おれは、都市図に対抗して「郊外図」っていうのを描こうとしてる。自らが暮らすまちに対して、慢性的に無関心になっている人々が増えていることに問題意識を感じていて、まちを見直すきっかけになるようなツールをつくりたいと思ってるんだ。ここで扱うまちって、主に郊外なんだけど、その郊外の空間的特徴を、構造的に捉えて描き出すことがあるひとつの目標でもあるんだ。完成した絵を見て、まちを客観視して、まちのいいところわるいところに気づいてもらって、あわよくばまちをちょっと好きになってもらえるような、そんな絵が設計できれば最高だなって思ってる。うーん、うまく説明できたかどうか。とりあえず、横10mの連続立面ドローイング3本と、魚眼地図20コを描くことが決まってる(笑)
    わっ。長々とゴメンよう!そんな感じだー!

  4. mi says:

    2010年11月9日 at 4:10 AM

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    もちろん、空間だけで解決できることなんてなかなかないよね。でも空間的なイメージがいろんなことを引っ張って行く力っていうのは、まだ空間にあるよね。と、おれは思うよ。プログラムもね、こんなこと言ったら怒られるかもしれないけど、なんかこういうのがあってこういうのもあってこういう感じの場所っていうくらいにしか実はイメージしてない、いつも(笑)そしておれこそこのプロジェクトがどうなっていくか見たいね(笑)観光客と住人っていう二項対立を無効にしたいな。ツアーでちょろっと来る人とか、美瑛が好きで毎年来ちゃう人とか農家とか住民とか、半分ここに住んで半分違うところに住む人とか、脱サラして移住してくる人とか、そういう違いって街にかかわる時間とか周期の違いでしかないからさ、そういう前提でどういう街を目指すかって考えたらちょっと変わってくると思うんだよね。純粋に人口だけで見たら人口一万人の街にしか見えないかもしれないし、上で挙げたような色んな人を含めば30万人都市であるかもしれないし。
    だからよっしーの問題意識とすごく近いと思うよ。美瑛だって風景を見に人が来るようになって、この風景って何か価値があるものなのかって後から地元の人が気づいていった感じらしいし。結構どこもそうだよね。みんなそれが当たり前だから、気づきようがないんだよ。おれらは別にその街が悪いって言ってるんじゃなくて、ちょっとうまくやれば、もうちょっと、というか結構良くなるんじゃないかって本当に思うから、おせっかいしてるんだよね(笑)すごくもったいなくて。
    都市なんて概念なんだから、なんでも都市って言っちゃえばいいとおれは思ってるよ。複雑な有機体の在り方を都市って言うんだと勝手に思ってるけど。だから何を都市と呼ぶかというのが問題ではなくて、どうやって都市と呼ぶか、どうやって都市に見せるか(ちょっと言い方変だけどね)のほうが面白い。だから、もう郊外図っていうのはひとつの都市図なんだろうね。って言うのはおれは都市と郊外っていう切り分けにほとんどリアリティを感じてないからなんだけどね。
    まあとにかくすごく意識は近いと思うよ。(世界には色々と名前が多すぎるんだよ、笑。似てることばっかりなのに。)面白そうだし。よっしーのドローイングは力あるからな。楽しみにしてます。がんばろう。楽しもう。

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