夢からさめて-thanks-

ご無沙汰してます。
昨日卒業設計の提出がありました。無事、納得のいく最高のものを提出することができました。寝るのがもったいないくらい最高に濃厚で充実し、幸せだった夢のような4週間。力をかしてくれたみんなにありがとうをいいたい。
-thanks-
4週間という短い時間の中で納得のいくものをつくるために、本当に多くの人の助けをいただいた。手伝ってくれているのに怒られるなど、理不尽な思いをさせてしまったことを謝ります。そんななか、最後までついてきてくれたみんなに対して、言葉にできない気持ちでいっぱいです。本当にありがとう。躍動感のある、まるで一つのアトリエのようでした。
何の義理も何の報酬もないのに、こんなにもたくさんの人が真剣に僕のやりたいことに協力してくれているという事実をふと認識する度に、マジで泣きそうになったりちょっと泣いたりしました。幸せものだと思いました。最高の仲間と最高の時間を過ごせたことを一生忘れません。
チームの核として全てのことを本当によくやってくれた、りん、すぎ、入沢君、中村君。
朝夜関係なく時間があけば駆けつけてくれたともちゃん、吉田君。
東大卒制後からすぐかけつけてくれた、しゅんたろう、猪飼君。
もう最後だよといいながらしっかり支えてくれたなっちゃん。
テキから応援に駆けつけてくれた、みんなのアイドルしいちゃん。
一年生ながら徹夜で黙々と集中して作業を続けてくれた高橋さん、るい君。
ここぞという時に必ずいてくれたわたる。と、切り貼り職人の相方ガイト君。
最後の追い込みに加勢してくれた後藤さん。
建築学科じゃないのに、専門的なことまでほんと色々と協力してくれた松川。
たまたま東京に来てただけなのに手伝いに来てくれたてらち。
てらちを連れて応援に来てくれた今村。
本当にありがとう。
あとは僕が講評会で戦うだけとなりました。
皆の力を無駄にはしません。
作業に戻ります。また。

夢からさめて-content-

ご無沙汰してます。
昨日卒業設計の提出がありました。無事、納得のいく最高のものを提出することができました。寝るのがもったいないくらい最高に濃厚で充実し、幸せだった夢のような4週間。力をかしてくれたみんなにありがとうをいいたい。
-content-
「環境的コンテクストと都市的コンテクストの架橋」と、それによってできる建築、空間が常に人の居場所という視線で生成されているかということが今回の卒業設計の自分にとっての大きなテーマであったと思う。
環境的コンテクストとはそれこそ気候や地形、それらがつくりだす現象など。今回の設計敷地である釧路の場合、夏の涼しさ・冬の寒さと長い日照時間・海霧・蓮氷・夕陽・流氷・けあらしe.t.c..
都市的コンテクストとはその街のでき方や、構造、システム。もう少し広義に解釈するなら歴史的背景、生活様式、慣習要素など。
当然ながら包含関係で言うとこのふたつは独立したものではなくて、環境的コンテクストの方が少しメタ。
今の建築は、環境や自然と言えば環境共生とかパッシブソーラーとか、テクノロジーの話に傾きがちになるか、設計のシンボリックな軸として設計に伴う決定の免罪符になるか、もしくはピクチャレスクな風景を作り出すために安っぽく用いられるか、であるように思う(その点で西沢・妹島対談は僕の今の関心と非常に近くて面白かった)。それをもう少し人と人の関係、人とものの関係、人と場所の関係、人とプログラムの関係を変化させたり、発生させたり、それらの関係に、ある固有性を生み出すものとして建築をつくれないかと思ったのがはじまりだった。
都市的コンテクストとして、街の現状を考えると、全体としてはやはり人口は大きな推移ではないが減り続けてり、いわゆる地方都市の抱える問題をほとんど共有している。
駅前大通りからは商業の核が撤退し、企業営業所廃止に伴うビジネスホテルの需要拡大により、大きなホテルが立ち並ぶようになった。
ただそれは悪い変化だとは思っていない。もともと自動車交通に有利な道幅の広い大通りはもはや歩行者のものではなかったし、都市構造の変化に対応できなかった商業施設を無理矢理維持する努力ほど無駄なことはない。代わりに、ホテルであっても市街地の人口密度があがるということはそれだけで色々な可能性を見出すことができる。駅前から大通りを中心とした都市構造から、芸術館や美術館、会議場や埠頭広場、飲屋街など文化的ストックが川沿いに連なる都市構造が浮かび上がってきた。今回のプロジェクトはその文脈にのっている。
プログラムは駅前から移転する市場を中心にスパを伴うもの。
光や霧、雨などを扱う屋根が空間を分節しながら大きな市場を覆い、天気や季節、時間によって集合的な、あるいは離散的な場をつくり、様々な関係性を現象させる。そんな建築である。
23日の講評会がお披露目だが模型写真を一枚そえて。

09の前に

一面の雪景色とキタキツネに迎えられ、釧路に帰ってきています。
早速二日酔いだけど、釧路飲みは最高だ。
社会に出た友達の言うことに重みがでてきて、楽しそうに夢を語るのを見ると、ほんとにこいつらに会えてよかったなと、ヘタしたら海外行くより高い飛行機代も安く感じます。
今年は出会いの一年。
同年代の建築仲間しかり、塚本研しかり。
人に出会うたびに自分が何をしたいのかはっきりしないといけないと感じて焦るけれど、ここは真剣に悩んでいいと、結論を急ぎがちな自分に言い聞かせる次第です。なかなか目に見える成果を残せない苦しい一年だったと思いつつ、近くに刺激的な人がたくさんいてくれる今の状況に感謝して、自分の枠組みをさがします。
年が明けたら、高校時代を戦い抜いた戦友と定山渓で再会です。
例にもれず、みんなでビデオを回し続けて記録します。
高3の練習風景から遠征、全国までの全軌跡を収録した大作の番外編が作成される予定です。宝物が、またひとつ増えます。
それに負けない宝物をつくりだすのが09年の目標になりそうです。
より共有できるものを。クリスマスに丹下健三のカテドラルに行ったら涙出た。都市も建築も人ももっと感動できるしもっと共有できる。そういう、有無をいわさない圧倒的な空間をつくりたい。
来年もどうぞよろしくお願いします。

行事としての論文はここで締める

あまりにも論文にかかりっきりでご無沙汰してました。
研究室にはほんとに迷惑をかけてしまったけれど、17日の論文発表会を最後に、自分の無力さを痛感する通過儀礼としての論文はひとまず終了した。自分のものとして深めて行くには、これから先まだまだ長い付き合いになりそうだが。
梗概提出、本論提出、発表会という最後のほんの2,3週間で、自分の認識が一週間前のそれと全然違っている感覚は、驚きでもあり少々気味悪くもある。
論文で感じたこと。
言葉の差異と実際の空間の差異には埋められない差がある。今回自分は最後までそのように割り切ることができないでいた。屋根が水平っていったって、厚みとか光沢とか全然違うから同じとはいいたくない。。終始そんな感じで、似ているとはどうことなのかという視点が欠けていた。
言葉や概念はやっぱり独立した体系であって、建築的知識、知恵、経験、感覚の体系とは部分的にしか重ならない。そのことは体験的にわかった。そしてそれぞれのつくる認識がお互いの認識を相対化することに論文の意味があると今は理解している。(ただそれはすごくメタな次元の話で、こんなゲームみたいなことに何の意味があるのかと、論文やっている最中はよく思っていたが。。)
そして論文をどこまで共有できるものとして再編集できるかもこれからやりたいこと。メイド・イン・トーキョーみたいに。
もうひとつ感じたのは、自分でデータを集め、自分で分析することの強さ。時代と逆行しているから、ほとんど全ては参照で済ますんだろうなと思う一方、世に溢れるエッセイの類いが、いかに不確かな情報の断片を元につくられているのかが良くわかる。意匠論は全然サイエンティフィックじゃないけど。。世の中の文章を見る目が少し変わる。
とは言え、論文に関しては手を引かれてやっと入り口まで連れてきてもらったようなもの。せっかくここにいるのだから、そのなんたるかを自分のものにしてからここを出たいと思う。

ラッシュ

頭を整理する時間もブログを更新する時間もない。だから近況みだれうち。

アトワン作、ジューシーハウスの撮影。
オレンジの空間は想像していたのと全然違って驚いた。意外にすぐ順応してしまう。もっときついのかと思っていたが、全然そんなことはない。天高2000くらいの廊が三階まで吹き抜けの空間をL字に囲う。上下が白い空間ではさまれているのが効いている。非常に明確な分節。大きな開口から入り込んでくる外の風景すら自分のものにしてしまう包容力があのオレンジの空間は持っていた。色は本当に面白い。まだなかなか模型ではわからないなぁ。一階の目地無しテラコッタの床がすごくよかった。

帰り際、初めて代田の町家を見た。外から見ているのに内部を感じる。自分がそっち側に入って内部を体験しているような。もちろん全てが見えているわけではない。見えない開放性とは何だろう。



アスプルンドの作品集を見て鳥肌がたった。2年前に汐留に展覧会に行った時とはまるで違って見える。
数年後はどう見えるだろう。こんなにもやさしく、それでいて凛とした空間がつくれたら。

論文はシェードのかかった「パブリックスペース」を題材にしている。
都市的なスケールを持ったシェードが都市の中で、都市のどんな文脈に応え、都市に対してどんな応答をし、どんな風景をつくっているのか。扱っているものの多くは高さをゆうに20mを超えるものがごろごろ。ヒューマンスケールとはかけ離れている。機能や合理性を問題にしていないもの、モニュメントでしかないもの、明確な機能に支えられているもの。様々だ。
シェード空間の包容力と冗長性を、そしてそういうものが存在するための枠組みとは何かということに迫りたい。写真を見ないと想像がつかないかもしれない…が次の機会に譲ろう。

地元釧路の新しい総合運動施設は市民の寄付によって建てられた。もちろん全額ではないだろうが。必要なものが市民の寄付で自主的に建てられる。もちろんこのようなことが頻繁に起こるとは思えないが。
メディアをフルに使えば地方は変わる。おそらく劇的に。20万人都市というサイズそのものに何か別の可能性を感じている。建築が存在する枠組みは変わる。このできごとをどう位置づけるか。

気温が下がって気持ちがいい。春と秋と冬が好きだ。

女子高生と子供には勝てない

6日。
ふとした誘惑に勝てず、現実逃避さながらに、気分転換にと意を決し横浜へ。
もちろん目当ては横トリ08。時間の都合上、メイン3会場を駆け足で回る。
あまり頻繁には来ない横浜。ベタで申し訳ないがやっぱり海ある風景は落ち着く。
港って本質的なところはやっぱりどこか似かよっていて、色んな場所がリンクする。
アムステルダム、釧路、串本、バルセロナ…このなんとも言えない浮遊感がすごく好きだ。
□新港ピア。

大きな空間はただそれだけで気持ちいい。

これはおもしろい。


音が届く領域を絞り、スポットライトのようにピンポイントで音を照射できるスピーカが、ひとつながりの大きな空間に、目には見えない多様な空間をつくり出す。漂うスピーカと鏡面が、さらなる複雑さを生む。色んな音が互いに干渉せず同じ空間に共存する。前提が、いとも簡単に崩れる。ものすごい広がりと可能性を感じた。
□BankART。
初めて入る。

むき出しのざらついたコンクリートとざっくりした感じがかっこいい。
きれいな。


さあ、なんだろう。


この構図が示すもの。


不在を前に、何を描くか。


□赤レンガ。
映像見る時間無し。好きなのひとつだけ。

抽象的な狭い通路。行く手を阻むように様々な問いが投げかけられる。
神の声のごとく心を揺さぶる、この世界における唯一の絶対。
壁に体をこすらせながら右へ左へ前へ進む。
永遠に続くかのような不安。

でも、こんなもの…


彼らにとっては子供だまし。。  進め!


行き詰ったらしゃがんでみる。
今日、学んだこと。
会場は撮影OKだったのでブログ掲載しましたが、何か不都合があれば対応します。

離散的週末2/離散しているのは自分?編

24日昼。阿寒の温泉で親戚の皆と久しぶりの再会。
阿寒は釧路から車で2時間くらいの温泉街。今までも良く家族で利用していたのだが、今回はとても素敵な再発見があった。
アイヌの伝統である。
我々道民以外の日本人に、アイヌのことがどのくらい知られているものなのか全く想像できないが、彼らは北海道や樺太の先住民族である。日本は間違っても単一民族ではない。詳しいことはwiki参照。僕も恥ずかしながら正確なことを説明できる自信が無いので。
ちなみに北海道の地名はほぼ全てアイヌ語を語源とする。北海道の地名が普通の漢字の読み方で読めないのはこのためである。混血が進むもアイヌの血を引く人たちは存在し、特に阿寒などの温泉街では土産屋として工芸品などを売っていたり、伝統の舞を披露したりと、その独特の文化は今なお継承されている。

夜の土産物屋とファサード

祭壇と店の明かりがきれい。気温5°C。
そういえばアイヌの木彫りはどこの家にもおいてある気がする。実家にもあった記憶がある。非常に精巧な技術を持ち、モチーフは人間だったり動物だったり独特のパターンだったり様々だが、自分の記憶のイメージでは流れるような動きのある表現が強烈に残っている。
昔から何気なく傍にあったはずなのに、この再会は強烈で、今では全然違うものに見える。指輪とかピアスとかも相当いい。阿寒に行ったら是非探してみてほしい。こんな素晴らしいものがあんなにひっそりとあるなんて…
金婚式は幸せいっぱいで幕を閉じた。言葉にはできない。あの時間と空間を共有した人たちの心にしっかりと刻まれていればそれでいい。じい、ばあ、これからも元気で。
偶然再会できた先輩やほんとに久しぶりに会いに行った昔の先生、家族、アイヌの土産屋のおにいさん。なんだかパンクしそうだな。ますます自分がわからなくなる。一体自分は何者で、何処にいるんだ(笑)何も整理できず統合できずにもう東京に帰ってきてしまった。つかめないままのリアリティ。また時間は流れる。さあ!どうしようか(笑)

離散的週末1/空間の実践編

離散的週末。
いや、あまりの体験の濃さに何がなんだかわからなくなってしまった週末。の前編。
24日。祖父母の金婚式祝いに親戚一同が会するため、こんな時期だが帰郷(を試みる)。
夕方羽田を発つも釧路悪天候のため着陸できず。釧路名物お決まりの濃霧。 機長曰く70m先が視認できない場合着陸を断念しなければならないとのこと。 二度の着陸挑戦はタッチ&ゴーのごとく失敗に終わり、無情に響く羽田バックのアナウンス。 機内には無数のため息。あと70m…
贅沢なのか無駄なのかよくわからない国内ゼロ移動4時間フライト。
帰りの羽田は大混乱。飛行機の再予約合戦。 運良く翌日の一便を確保したのが23時過ぎ。さあどうしようか。door to doorで羽田ー小杉往復2時間1100円。 時間と金がもったいないので空港に泊まることに決定。 こんな目にあった建築学生たるもの、このままおとなしく寝るわけにはいかないと、自分の居場所をつくり論文作業開始(というかリアルな危機感による)。
・今晩限りの仮の製図室 in 羽田
一次work space。         →改良

適度な運動を許容する空間。     必須アイテム完備 。 一服可能。(僕は吸わない)

24hサポート。(引き出すものが無い)   プラス、テレビ付き。(さすがに見てない)

そんなこんなで刺激的かつ充実した夜を明かし、何事も無かったかのように無事釧路へ。
25日朝。釧路は 快晴。どうしても見ておきたかった海。

つづく。

論文と論文の間

ついに本格的に論文が始まった。ちょっと遅すぎるが…
短期集中しておもしろい論文をかきたいと思います。それとどんなことをやっているのかもここで伝えていければいいと思います。共有されてこそ論文はもっと広がりと強度を持つだろうから。
近況と言えば、先週の日曜日12日にノラハウスへ行ってきた。
半分寝たまま飛び乗った始発の新幹線。
地元には飛行機で帰るから、実は新幹線に乗ったことがほとんど無い。
東京の街をすりぬけるさまに興奮して子供みたいにはしゃぎ、5分後に就寝。。
ノラハウスは素直にとてもよかった。うまく使われていて家も家族の皆さんもとても幸せそう。すごい広がりと色んな顔を持つ空間があって、朝から夜までみるみる表情を変えていく過程を直接体感できたのは、大きな財産になるだろう。人様の家なので基本写真は載せないけど心暖まるワンショットだけ。

黙々とスケッチをしてたかと思ったら…なんと帰り際にプレゼントするイケメンのシモン氏。
最初から最後までなんだか暖かい訪問。

たくさんの幸せをもらったが、まあそういうのはあと三十年後くらいでいい。
イベントのレポートを書いたのを機に、このブログも色々とリンクを貼ってもらい、たくさんの人目につくようになってきたようで、嬉しいかぎりです。ここでひとつリンクを紹介します。
Atelier.(dot)…いつもお世話になっている先輩のブログです。領域横断的な人で尊敬してます。ブログの中に時折出現する都市論は濃度があって示唆的。いい兄ちゃんです。
よろしくお願いします。
さあ、そろそろ論文に戻りますか。。

建築夜楽校2/絵を描くのは誰か

先日の建築夜楽校「タワーマンション」に続く第ニ弾、「ショッピングモールとローカルシティ」に参加しました。
パネリスト
 ・中村竜治氏/中村竜治建築設計事務所主宰
 ・岩佐明彦氏/建築計画学者 新潟大学工学部准教授
 ・芝田義治氏/久米設計
 ・関谷和則氏/竹中工務店
コメンテーター
 ・若林幹夫氏
司会
 ・南後由和氏
 ・藤村龍至氏
(個人プレゼンではそれぞれの思想をわかりやすく伝えてくれましたが、各プレゼンの詳細は割愛します。)
議論は若林氏の「建築は経験である」「アーキテクチュアルな権力によって構成される空間の経験とが重要」というコメントと、中村氏がSC内にデザインした店舗を中心に動きだし、議論の大枠は藤村氏の提示した具体的な二つの問い
 1、建築が場所性にどう関われるのか。商業的な論理と場所性はどう結びつけられるのか。
 2、場所性についての論理をどう変えられるか。非オーセンティックな場所性をどう対象化するか。
をベースに展開された。
その中で建築的思考の可能性が介入できることとして明らかになった2つの具体的な軸は、「SCの内部空間/批判的商業主義」と「SCのストックとしての位置づき方」だと認識したのでその二つを語りたいと思います。
・一つ目はSCの内部空間について/批判的商業主義
ここでは、SCという小さな街における場所性や、そこにかかる制約を受け入れることを前提としつつ「アーキテクチュアルな権力によって構成される空間」でどのような新しい体験を生み出すことができるのかという問いに基づく。

中村氏のプレゼン。右が中村氏設計の眼鏡ショップ。店舗間の強烈なギャップが印象的。
唯一実績をもつ中村氏は、SCの内側から制約条件を再構成して空間をつくりだした。だがそこに現れる空間の経験は明らかに周辺の店舗とは一線を画している。本人曰く商業主義的なものと距離を取ろうとしたが、結果的に商業的成功を収めるものになったという。もう少し厳密に言うと、商業主義が現在持つ手法と距離を取ろうとした結果、新しい商業主義的な手法を発見したと言いかえられる。こうした建築家の姿勢は、批判的工学主義の範疇に入るのだろうけど、「批判的商業主義」と言えるのではないか。それは空間的経験と商業的効率・成果の関係性を見出して空間を再構成する立場で、中村拓志氏の「Lotus Beauty Salon」、藤村龍至氏の「UTSUWA」などがわかりやすい例だろうか。今までの商業主義の論理に空間的な経験という価値を組み入れることで、その店舗をより魅力的かつ機能的にしている。そこにはクライアントにも通じる開かれたロジックが存在し、かつそのクライアントや思想、条件などの差異を建築に反映しているという点で固有性を生み出しており、非常に面白いと思う。
ただ、SCに話を戻すと、あくまでもSCという小さな街の中での出来事であって、そのSCが建つ街との関係を考えると射程が短い。
・二つ目はSCの街での位置付けについて/非場所が非場所を生む?
先日のタワーマンションとの関係で語られるべきはこのトピックだ。タワーマンションがSCと決定的に異なる点は、公共物ではないということ。都市の景観問題として批判の対象になる原因はそこにある。その土地に住む人にはタワーマンションから何のメリットも得ないから。よって、都市との関係性において、建ち方や表層のデザインという問題が特に先鋭化する。先日の北氏のスタンスもそこに基盤がある。鎌谷君がレポートした批判的表層主義もそこに反応したものだし、海外の一部の建築家が非常に表層的な表現を試みるのも、明確な都市構造においてモニュメンタリティが意味を持つからである。
一方SCは公共である(と僕は認識している)。その巨大さが街となり、大衆のライフスタイルを巻き込み、地域の構造を大きく変質させる。若林氏も述べたように、内部空間において非場所と場所が相互補完するかたちで共存することは現代のリアリティだろう。問題なのはその非場所が、周辺をどんどん取り込んで拡大してしまう状況ではないかと考える。非場所を内包する巨大なSCが出現することで、その周辺が非場所化してしまう(ように見える)現象が起こっていることが注目すべきことのように思う。場所と非場所に関する議論では、非場所を対象化すると同時にその関係性を捉えることが課題だろう。最後に若林氏の指摘した「弛緩する空間」はその関係を捉える入り口になりそうである。
SCがストックとして、街を活性化させるものとして位置づくために必要なのは、当然のようだが具体的なものとの関係なのではないかと思う。SCはシステムとして自立しているが、既存のストックとwin-winの関係を持つように再編成することができると思うし、そうすべきだ。それが芝田氏の言う周辺の参加可能性でもある。
もうひとつ、建築家はSCの存在がどれほど街に影響があることなのかを訴えるしかない。そして「批判的商業主義」の有効さを認識させると共にそのなかで、SCの経済性や、大きな内部空間というものが郊外にできるということにどんな意味があって、街と連続することでどんな新しい価値が生まれるのか、その絵を描くしかないのではないか。議論をカタチに。なんせ今議論の中心であるSCの設計を任される建築家が、どこにもいないのだから。
ニ夜のシンポジウムを通して、現時点で建築がやらなければならないこと、建築にはできないことがある程度共有された印象を持った。もちろん、できないという結論に甘んじることはできないが、具体的に議論すべき論点がいくつかクリアになったのではないかと思われる。二回ともキーワードとなった「場所性」とは具体的にどこまでを含むのか、僕はまだうまく理解できていないが。自分自身例えば各都市における場所と非場所の関係はどうなっているのかなど、調べてみたいことがいくつか出てきたので、もう少し掘り下げて行きたいと思う。
有意義な議論が聞けて刺激になりました。