カサブランカのマーケット

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敷地はカサブランカの人々の生活文化が濃縮された住宅地にあり、活気に溢れた既存マーケットが建つ一画である。マーケットには小学校が隣接し、北側には大規模なスラムが広がる。移動マーケットや人の群れが都市のすきまというすきまを埋め尽くすように流れ込み、子供たちが人ごみをすり抜けてふざけあっている。社会的身分や生活環境は違っても、ここで生活する人々にとってマーケットは都市そのものであり、生きる舞台であり、また生きる目的であるような気さえしてくる。それくらい現地の熱気は凄まじく、驚くべきものであった。周辺を占める多くの住宅地は、1950年代のモダニズムの実験の結果である。都市部へ流入する大量の移民に対して、住宅と基本的な都市機能を供給するためにCIAM MOROCCOによる住宅供給プロジェクトが行われ、モダニズムのさまざまな試みが実現した。この頃、モダニズムの可能性を信じた建築家が「大衆のための都市計画」にどれだけ意欲を燃やし、情熱を傾けていたか想像に難くない。60年が経過した今、カサブランカは二つの大きな課題に直面している。ひとつはコーストエリアの巨大観光開発、もう一つはスラムクリアランスである。これら二つの課題は違っているように見えて、よく似ている。どちらも地域に普通に暮らす人々やそこでの生活を忘れてしまっているという点で。ここカサブランカで再び大衆のための建築を考えなければならない。

与えられた基幹となるプログラムと敷地の大きさから、公園のような自然環境のような建築を考える。明確なアウトラインを持たず、周辺の環境と連続していて、誰もが参加し、時間を過ごし、様々なプログラムを利用できること、そのような大らかな空間をどう組み立てることができるだろうか。さらには本プロジェクトを通して、街区ごとに異なる形式で開発されたコラージュ絵のような周辺を、新たな建築によってつなぎとめるようなことがしたい。そこで、その地域が共有している地形に着目し、高さ200mmごとに引かれた等高線に沿って、柱を並べてみる。とたんに周辺の環境と緩やかに連続したランドアートのような光景が出現した。続いてそれらの柱を基に構造ユニットをつくり、屋根をかける。それぞれの屋根の高さや、つなぎ方、集合の仕方を変化させることによって、異なる光環境や異なる空間の広がりを持った多様な空間が生まれる。カサブランカの気候を考えると、高気密の内部空間よりも日差しを防ぐ半外部空間の方がよっぽど重要である。だからこの建築はほとんどが半外部空間でできている。プログラムが運営されていないときも、これらの空間は常にそこで生活する人々のための社会的な空間であり続ける。地形に沿って並べられた柱という明快な秩序は、人々の手によって拡張したり、新たに内部空間をつくったりすることができる。彼らはこれまでそうして空間を創造してきたのだから、うまくやっていくに違いない。

カサブランカのマーケット

敷地はカサブランカの人々の生活文化が濃縮された住宅地にあり、活気に溢れた既存マーケットが建つ一画である。マーケットには小学校が隣接し、北側には大規模なスラムが広がる。移動マーケットや人の群れが都市のすきまというすきまを埋め尽くすように流れ込み、子供たちが人ごみをすり抜けてふざけあっている。社会的身分や生活環境は違っても、ここで生活する人々にとってマーケットは都市そのものであり、生きる舞台であり、また生きる目的であるような気さえしてくる。それくらい現地の熱気は凄まじく、驚くべきものであった。周辺を占める多くの住宅地は、1950年代のモダニズムの実験の結果である。都市部へ流入する大量の移民に対して、住宅と基本的な都市機能を供給するためにCIAM MOROCCOによる住宅供給プロジェクトが行われ、モダニズムのさまざまな試みが実現した。この頃、モダニズムの可能性を信じた建築家が「大衆のための都市計画」にどれだけ意欲を燃やし、情熱を傾けていたか想像に難くない。60年が経過した今、カサブランカは二つの大きな課題に直面している。ひとつはコーストエリアの巨大観光開発、もう一つはスラムクリアランスである。これら二つの課題は違っているように見えて、よく似ている。どちらも地域に普通に暮らす人々やそこでの生活を忘れてしまっているという点で。ここカサブランカで再び大衆のための建築を考えなければならない。

与えられた基幹となるプログラムと敷地の大きさから、公園のような自然環境のような建築を考える。明確なアウトラインを持たず、周辺の環境と連続していて、誰もが参加し、時間を過ごし、様々なプログラムを利用できること、そのような大らかな空間をどう組み立てることができるだろうか。さらには本プロジェクトを通して、街区ごとに異なる形式で開発されたコラージュ絵のような周辺を、新たな建築によってつなぎとめるようなことがしたい。そこで、その地域が共有している地形に着目し、高さ200mmごとに引かれた等高線に沿って、柱を並べてみる。とたんに周辺の環境と緩やかに連続したランドアートのような光景が出現した。続いてそれらの柱を基に構造ユニットをつくり、屋根をかける。それぞれの屋根の高さや、つなぎ方、集合の仕方を変化させることによって、異なる光環境や異なる空間の広がりを持った多様な空間が生まれる。カサブランカの気候を考えると、高気密の内部空間よりも日差しを防ぐ半外部空間の方がよっぽど重要である。だからこの建築はほとんどが半外部空間でできている。プログラムが運営されていないときも、これらの空間は常にそこで生活する人々のための社会的な空間であり続ける。地形に沿って並べられた柱という明快な秩序は、人々の手によって拡張したり、新たに内部空間をつくったりすることができる。彼らはこれまでそうして空間を創造してきたのだから、うまくやっていくに違いない。
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