羊をめぐるセロ弾きのゴーシュ

帯広の北、上士幌町。小さな丘がリズミカルに続く山のふもとを奥に進むと、馬や牛よりうんと小さい羊の群れが見えてきた。近づくと、緑の牧草が敷き詰められたその上の、グレイがかったモコモコの毛皮をまとった小さな羊たちが、首を伸ばして真っ黒い顔をこっちへ向ける。
羊の牧場。
北海道に羊の牧場はほとんどない。日本に流通する羊は海外のものがほとんどで、北海道のジンギスカンの肉もほとんどが外国産でまかなわれている。
そんな、北海道でも珍しい羊の牧場は、脱サラして東京から移り住んだ、草野さん夫妻が始めた。この前子供が生まれたばかりのまだ若い夫婦だ。
彼らが何故羊とともにあの地で生きることを選んだのか、ほんの一時間ばかり話しただけでは、色々推測することはできても、ほとんど何もわからない。いや、それは「サラリーマンをやめて、羊飼いになりたい」と北海道に飛び立った、言葉通りただそれだけのことなのかもしれない。
羊牧場そのものがほとんど存在しないわけだから、国内産の羊の流通経路も皆無(というかシステムにはなっていない)、どうやって経営が成り立っているのかは良くわからない。とにかく今は、始めたばかりの牧場を、牧場として一人前にするために忙しい。一般的な意味での経営は破綻しているのかもしれない。それでも彼らは羊とともに、あの場所で生きている。
彼らは二人ともセロを弾く。だからこの牧場はゴーシュ羊牧場という。
「羊をめぐる冒険」と「セロ弾きのゴーシュ」を混ぜあわせたような物語が、静かに進行している。
彼らは羊舎のすぐ隣に住んでいる。もともと農場事務所だった、良く表現しても祖末としか言えないような建物の一部に、羊の毛の断熱材を仕込んで寒さを防ぎ、最小限のベッドと机、そしてふたつのセロと一緒に住んでいる。
素敵だなあなんて簡単に口にしてはいけないくらい、おそらく今の平均的な感覚から見れば、ちょっと耐えられないような厳しい生活をしている。
相当な覚悟がいるだろう。でも彼らはあっけらかんとしている。ように見える。何を判断の基準にするかで見え方は逆転する。彼らは自ら生き方を選択した。これは彼らのユートピアである。
手探りで一年が経った。彼らに子供が生まれて、羊が少し増えた。
現在は7haほどの放牧地に羊を飼う。数は忘れた。羊牧場は雌羊(袋羊)の頭数が、牧場の規模の指標になる。春は出産シーズンだから、羊は毛を刈られたばかり。毛は断熱材の役目を果たすから、寒い冬だけじゃなくて、暑い夏にも必要だ。
彼らは原始に戻ったように見えるかもしれないけれど、やっぱりネットは繋がっていて、ホームページも持っていて、自己主張しているし、現に僕みたいに、全くの無縁だった人が実際に引き寄せられていったりする。
だからこういう状況は、実は最先端なんじゃないかと言うこともできるけど、そんなことにはほとんど意味がなくて、ただそういう生き方をしている人が実際にいる。それが真実で、それ以上でも以下でもない。そしてそのことが、大きな鈍い衝撃として、ずっと頭から離れない。草野さんの目はとても澄んだ、不思議な黒色をしている。
彼らの生き方は、人を惹き付ける。
彼らは何か、特別な判断を下した、特別な人たちなのだろうか。

2 Comments

  1. says:

    2010年6月21日 at 10:35 AM

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    エントリーを読んでいて、なんだか、まるで小説を読んでいるような気分になった。今ならその小説の挿絵を3枚くらい描けそうだ。画材は鉛筆かパステルがいいなあ!

  2. mi says:

    2010年6月22日 at 3:01 PM

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    そのとおり。だから彼らの決断や生き方、存在の物語を、農地法改正とか、農村移住とか、観光立国宣言とか、大きな物語と結びつけて制作につなげたいと考えているんだ最近。

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