el vacío como lugar/場所のような空白

el vacío como lugar/場所のような空白
とは何かを考える。

何かがなくなるということを目の当たりにしてからそう日が経ってない。
生きることは建てること、築いていくことなんだなとふと思う。
真っ先に建てられた新しい電線。
人は片付け、秩序をつくり、また築く。
ばらばらでめちゃくちゃだった空間が、どんどん空っぽになっていく。
からっぽになっているのに、秩序が生まれ、またなにかが始まる場所みたいになっていく。
そういうことに、初めて気づいた。

2 Comments

  1. yossy says:

    2011年9月26日 at 12:36 AM

    SECRET: 0
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    おーっ。はやくも映像がアップされてる。順調そうで何よりです。
    築くことは、場所にキズをつけることのように思えたよ。
    地面をえぐって掴んで、離さないような、生への欲みたいな。
    歪んだ解釈かもしれない。笑 
    あと、やっぱり場所にタブラ・ラサはありえないんだなーとも感じた。秩序は、人間の知性と、場所への敬意、そこでの歴史への敬意の表れだと感じました。
    引き続き日本から応援しています:)

  2. mi says:

    2011年9月26日 at 8:32 AM

    SECRET: 0
    PASS: d638eb9a9aff9a1214d420a1ac855596
    ただ、あまりナーバスになっている場合ではないと思うな。地震のこともあるけど、日本全体が。本気で都市を、街をメンテナンスして、洗練させていかないといけない。そういう想像力、創造力がほんとに必要とされてると思う。そのときに、(これは宇治のプロジェクトでも自分が直面している葛藤だけれども)コンテクスト主義みたいなものが、足かせになってるような時があって、この動画ではむしろ、その場所だからというよりは、もっと普遍的に表れる秩序の方に関心を持っています。
    引き続き見守っててください笑。

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