京都にて

北大に入って2ヶ月と少し。宇治のプロジェクトが本格的に始まって半分札幌、半分宇治居住になって約一ヶ月。宇治のプロジェクトというのはある地域の整備計画。具体的な内容は進行中だから背景だけ。
宇治は重要文化的景観に選定された。重要文化的景観とは文化財の新たなカテゴリーで、簡単にいうと、生業やそれに関連する文化によって生み出された環境全体を対象にしたもの、だろうか。名前こそ聞き慣れないが、その場所での産業とか、文化とか、慣習とか、建築とか、都市とか、地形とか、風景とか、そういうものを、有機的な関係をもった環境として捉える考え方には、感覚的にも理論的にもなじみやすい。
1975年に設けられた伝統建造物群保存地区というのが、建築単体の保存から、建築群の保存への拡張であったように、文化的景観は、ある特定の地区だけでもなく、それを取り巻く地域環境全体へと拡張されたものだと言えばわかりやすいだろうか。と言っても環境全体なんてコントロールできるはずもなく、凍結保存は不可能である。そしてもはやこれは”保存”の枠組みではない。なので、文化的景観の意義は、地域のコンテクストの共有と価値の共有。またそれが第三者から評価されるということにある。繰り返すが、これは保存の枠組みではなくて創造の枠組みであると考えた方がいい。だからこそ今回考える整備計画とは、保存計画ではない。というか保存と創造を分けない。古いものと新しいものを分けない。不要なものと必要なものを分けない。ということなんだと思う。考え方としては。
といってもまずはなにより観察である。
茶業に関連する建築形式と都市形態の関係は本当におもしろい。平安期の道と中世の道によって構成される独特の街区形状を下地に、そこで展開されてきた茶産業と建築の変遷。宇治の町家ならではのユニークな建ち方と表情、そしてそれらがつくっていたまちの風景。現在のまちにもその痕跡がありありと刻まれている。急激な近代化によって生まれたものと破壊されたもの。時には目を背けたくなるような痛々しい破壊がそこにある。とは言っても無くなったものを嘆いてばかりでは仕方が無い。街は今だって生きているから、これからどう育てていくかということが主題だ。
一ヶ月前にこの街を見た時、至る所に残る町家や、まさに新茶摘みに忙しい、活気ある美しい茶畑や、もくもくと湯気を出しては不器用に動く茶工場に興奮し、色々な可能性には気づいたものの、一体何をどうすれば、と思って正直少し途方に暮れた。問題も、目的も、主体も曖昧だと思った。その状態で、制度だけが黙々と期日を目指して進んでいる感じがした。
それでもじっくりと向き合えば色々と見えてくるもので、このまちの何を観察すればいいのか、何が面白いのか、何が大切なのか、つかめてきた感がある。スピード感も出て来て、面白くなってきた。
話は少し変わるが、京都というのはやっぱり建築を学ぶものにとってはすごく大きな存在だとしみじみ感じる。京都に住めるから寺でも町家でも見放題だなと思ったら、忙しくて全然それどころじゃないが。それでも京都にしばらく身を置く、それはとても大事な時間だ。
つい先日、お世話になっている先輩と町家歩きに行ってきて、そこで大きな衝撃を受けてきた。とにかくどの家主さんも、家褒めがすごい。心から愛している。建物をこんなに生き生きと豊かさいっぱいに語る術をぼくはまだ知らない。その尽きることのない家褒めが、いやらしく感じないのは、皆自分の家を褒めながら、京町家という全体性を褒めているからだ。その全体性の中にあって、自分の暮らしと家との間に生まれる関係に、差異を見出して表現としている。京町家での生活を誇り、そういった魅力や大らかさを失ってしまった現代の建物に嘆く家主の姿をみて、自分たちは一体何をやっているんだと、重い責任を感じたのは間違いではあるまい。少なくともいいものを知らないというのは建築家失格だ。
もうひとつ驚いた。ある家主から「都市生活者としての自覚」という言葉が出て来たことに。そんな言葉は今まで人の口から聞いたことがない。都市生活者として最も避けるべきは他人の迷惑になることで、その一番の要因である火事に備えて、この大いなる無駄である通り庭の吹き抜け空間がある。そしてこの場所が一番すきだと。
最近、京都駅のその巨大な半外部空間は、ヨーロッパのターミナル駅のそれだと気がついた。大都市である京都(規模というよりはなんというか、存在としてかな)にふさわしい、現代的なスケールをもった都市構築物で、大いなる無駄でもある巨大なこの駅は、都市生活者の自覚なんだと言った通り庭の吹き抜けと、重なって見えないこともない。

2 Comments

  1. 正田智樹 says:

    2011年6月19日 at 2:56 AM

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    東工大建築2年の正田といいます。Andreaさんに面白いことをしている方ということで、宮城島さんの名前をお聞きしたので、コメントさせていただきました。観光創造専攻というところでは主に景観について行っているのでしょうか?私もベルギーに居たことがあり、そこでの厳しい景観対策を現地で学んできました。よろしければ、twitterででもお話ができればと思います。

  2. mi says:

    2011年6月19日 at 12:25 PM

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    こんにちは。Andreaには僕も色々お世話になりました。元気でやってるかな。観光創造専攻でやってることはプロジェクトごとに大きく異なります。こういうことはできてこういうことはできないというのは強いて言えばその時にいる人材に依るのかな。僕も含めここに属している大方の認識では、観光は目的じゃなくて枠組みであり手段です。目的も地域の自立だったり、産業構造の修正だったり、文化の保護活用だったり様々ですが。観光という言葉が日本ではいわゆる観光業のイメージと結びつきやすいようですが、もっと広義ですね。先生も学生もそれぞれ専門や能力が違うので、シンクタンクのような感じでもあります。ただ実際の学生にどれだけその自覚があるかはもっと問うていいと思ってますが。。なので僕は建築意匠の専門としてプロジェクトに関わらせてもらっています。今はブログでも触れたように宇治のことをやっていますが、これが整備計画なのか、まちづくりなのか、粒の建築のデザインによるまちなみの更新なのか、はっきり言い表す言葉が無いということが示しているように、そこで試される方法も様々です。景観対策的な手法が最適であれば参照するでしょうし、そうじゃない場合もあります。ベルギー含めヨーロッパの景観対策がどのようになされているかは興味がありますね。という前に景観とは何かという認識にも違いがありそうですし。他分野のように思われるかもしれませんが、これは西沢立衛さんが使っていた言葉ですが、”建築創造”への関心が根幹にあることは揺るぎません。ちょっとおおげさですが、今の日本において建築を創造する新しい枠組みになる可能性を感じたので、今はここに身を置いています。twitterでもなんでも結構です、色々教えてください。

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