修士設計

ひと区切りついたので、修士設計アップします。
羊の話からはじまって、直接的には羊牧場を扱うことはしなかったけれども、人がどこかに住むという当たり前のことを深く考えさせられた。人がどこかに住むということは、その人の生きる条件をある部分で決定的にかたちづくるのだろうけど、すでに社会は相対的で選択可能だし、同じように、生きる場所を自分で選択できるという開放感(それはもちろん今までなかったわけではないけれど)が現代にはあって、移住者と接して感じたのは、そうやって自分の生きる条件を自ら選択することの前向きな強さと自由さだった。例えばコンパクトシティ(自体は考え方だから否定するとかしないとかじゃないけれど、その説得力が故に、唯一の方法みたいに固定化してきた感があって、そこにはちょっと暴力すら感じることがある)というのがあるけれど、それがいくら色んな観点から正しくても、そこで生きたいっていう自由とともに、いや、そこでは生きたくないっていう自由があって、当たり前のことなんだけど、そのことがすごく痛快だと思った。
日本は人口が減少することが、ほぼ明らかになったようだけど、人がどこに住むかという選択や、国内や海外の流動人口まで視野に入れると、なにか新しい都市空間や開放的で自由な状況が日本に生まれるかもしれないというのが、漠然と抱いた期待と仮説だ。(今回の大震災では、また少し別の意味で、生きる場所という問題が立ち上がってきたように思うが。。)何かそういう関心から、人が移動することとか、どこかに生きるということと、現在日本が抱えている色んな社会状況を結びつけて枠組みを構築するために、様々な流動人口を抱える北海道美瑛町というところを事例に選び、プロジェクトとした。
「農業と観光を媒介とした新たな都市空間の提案」
―北海道美瑛町をケーススタディとして-
Proposition for a New Urban Space mediated by Agriculture and Tourism
-A case study of Biei-town, Hokkaido-
要旨
雄大な農業景観を有する北海道美瑛町には、人口1万人に対し年間120万人が訪れる。その内訳は、夏に多い国内外からの短期旅行者、都会と農村を往復する二地域居住者、中長期間滞在する移住体験者、新規就農を目指す研修者など様々である。こうした多様な滞在者を一括りに観光客とみなして観光開発を行うのがこれまでの一般的な傾向であったが、多くの人が出入りする律動性を受容する、新たな都市空間を構想することによって、滞在者を新たな“住民”と捉えることができる。本計画は、多様な滞在者の受け皿や、定住民との接点となる公共空間を、農地と市街地の風景を調整するものとして計画することを通して、季節性の人口変動を伴う農業都市に対する、持続的で伸縮性のある空間的枠組みを提案するものである。
人口に対する多量の滞在者や、季節性の人口変動は、従来の施設計画によってできたまちが前提とすることのなかった新しい都市的現象であり、定住民に対しては不自由のない施設計画であっても、外部から訪れる人が利用したり、定住民と交流する機会を生むような公共空間は不足していると考えられる。そこでテンポラリーな住民と定住民のための新たな公共空間を、農地と市街地の境界(エッジ)と、現在市街地の中心に位置しながら市街地を分断している線路沿空間に計画する。エッジには、多様な観光客の滞在場所となり、かつ定住民も使えるような公共空間を、既存公共施設をネットワークするように配置する。線路沿空間はどこからでも入れる緑地帯とすることで、分断された市街地を結ぶ公園のような空間とする。また、本数の少ない列車のスケジュールを再検討することによって、駅の機能を保持しながら新たなプログラムを同居させ、既存駅を覆う大きな屋根をかけることで、誰もが参加できるような、開かれた半屋外の公共空間を計画する。交流施設のプログラムとしては、これまで施設の縦割りごとに細分化されていた美瑛に関する情報や知を一カ所に集め、その集合知を誰もが共有し深めることができる ”美瑛学”の場を想定する。これらの統合により、季節の変化や時間帯によって、様々な主体や活動を受け入れる、寛容で伸縮性のある公共空間を提案する。これは、今後ますます流動的な人口を抱えると考えられる地方都市において、多くの人が出入りする律動性を受容する新たな公共空間を構想することを通して、多様な滞在者を住民と捉えるものであり、持続的で伸縮性のある空間的枠組みとなるものである。
















大岡山建築賞銀賞受賞。

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