シンポジウム「Another Port-city 」のモデレータを務めます

「Another Port-city 横浜・釧路・清水・尾道:みなとまちネットワークの形成に向けて」と題したシンポジウムを横浜のYCCヨコハマ創造都市センターで行います。宮城島はモデレータを務めます。

みなとまちという見方で地域を捉えると、港やその後背地も含めてモノと人と場所の関係、みなとまちにある資源の活用の可能性など、色々なつながりがひとつの生態系のようにわかってきて面白い。3.11以降、防災や港湾整備の観点からも海辺や港をどう再構築するか、というのは共通した課題になっているようですが、それをひとつのきっかけにして、これまでみなとまちにあったインフラを読み替えたり、新たな価値を見出そうとしているうごきが加速しているように思います。このシンポジウムの準備のため、各地を訪れ、たくさんの環境を体験し、さまざまな試みを行っている人たちに接することができました。なによりどこも魅力的でした。
横浜国立大学が蓄積してきた横浜・神奈川での教育研究活動の実践の報告からはじまり、”みなとまち”を切り口にして、ネットワークづくり、Another Port-cityのはなしができればと思っています。
是非お集まりください。

 

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“旅するカフェ”を追って

先日納品させていただいたMORIHICO.さんの移動店舗を追って新宿伊勢丹の催事会場に視察に行ってきました。

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色々な種類のお店がひしめくなかでちゃんと存在感を放っていて安心しました。北海道展は百貨店におけるキラーコンテンツのひとつなので、そもそもお客さんの入りは良いようですが、スタッフさん曰く今回は什器の雰囲気につられて何の店だろうと寄っていただける方が多いとのこと。それを聞いて嬉しくなりました。友人知人も多くの方が訪れていただいたようです。建築家の藤村龍至さんや青木弘司さんにもご案内させていただき見ていただきました。とても励みになります。どうもありがとうございました。この調子で色々なところを旅してくれれば、と思います。
(ちなみに一枚目の写真は友人の大島くんが撮影して知らせてくれたものを拝借しました。どうもありがとう。)

MORIHICO.催事用什器を納品しました

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札幌を拠点とするカフェ、MORIHICO.さんの催事用什器を設計させていただきました。モビリティに特化しながらも、組み立てれば札幌のカフェの雰囲気が立ち上がるような、旅するカフェです。早速来たる2月4~9日の間、東京へ旅立ちます。最初の旅は新宿伊勢丹の大北海道展になります。東京近郊のみなさま、こだわりの珈琲や焼き菓子とこの旅するカフェをお楽しみに、是非お越しください。

その後の羊

その後の羊はどうなったのか。
羊牧場との衝撃的な出会いをはたした6月。ただただその事実がどういうことなのかを知りたいという気持ちだけで羊牧場に飛び込んだ8月。あっという間にたどりついた10月、も終わり。
そう、8月に僕は羊牧場で何日か生活することができた。研究のため、とは言ったものの、建築の研究はいつもサイエンティフィックとは限らない。ただ、彼らがどういう世界で生きているのか知りたくて、ほんとにそれだけと言えばそれだけだ。だから、一応建物の実測とか、事前に計画できそうなことを申し訳程度に予定表に書き込む以外、行ってみなけりゃわからない、体当たりの滞在だったわけだ。
そんなわけのわからない僕を受け入れてくれたシューゴーさんとアイコさん、そしてかわいくてやんちゃなパブロくん(本名は羊牧場のブログ『未知の道』参照)には本当に感謝しています。
8月の滞在から、この文章までだいぶ日があいたのは、特に理由があるわけではなくて、そろそろ書きたくなってきた、ただそれだけのことです。おそらく、帰ってきてすぐだと、あまりにのめり込んでるというか、感情移入しすぎているというか、そういう意味で、自分が思ったこととズレたことを書きつづってしまいそうな危うさを、なんとなく感じていたからかもしれません。ほとんど条件反射のように、本当にそう思っているのどうかかわからない、意味のない言葉をカメラに向かって発し続ける、興奮気味のテレビレポーターのようなと言ったら、もっとわかりにくいだろうか。。
それはさておき。
牧場での数日は、客観的に見たら、なんだか滑稽な共同生活だったかもしれません。
羊の移動を手伝わせてもらいました。
畜舎を直すために、ジャッキやバールやインパクトや、何やら不思議な大工作業。
羊の仕分け。
大盛りのごはん。
実は快適な住居。
シューゴーさんが時折弾くピアノ。
いっぱい遊んでくれたパブロくん。
背中がめちゃくちゃ痛いテントでの睡眠。
テントを出ると真っ暗で何も見えない、でも満天の星空。
明るい月。
おいしい牛乳。
最初の夜のビール。
写真を撮りに近づいただけで、一匹ついてきてしまったらもう大変、突然始まる羊の大移動。
蚊。
堆肥のにおい。
なかなかうまくいかない毛糸づくり。
むぎ茶。
お菓子。
上士幌にいる、ユニークな移住者のみなさん。
題名を忘れた、とても素敵な絵本。
僕は話がしたかった、面と向かって。面と向かいたいと思うのは、沈黙がすごく大事だから。言葉を話しているときと、沈黙しているときと、どっちの情報量が多いだろう。僕が羊牧場でした会話は、どちらかというとそういう類いのものだった気がする。
僕は色々と誤解をしていた。現実はやっぱりいい感じに複雑で、浅い想像力なんて簡単に超えてしまう。そのことがすごく嬉しいわけだけれども。色んな発見があった。
6月に訪れたときの、羊牧場の断片的な情報は、いくつかの角度から僕を魅了した。都会を離れて、自然に囲まれた新たな生活。その決断。羊飼いということ。羊にまつわる色んなエピソード。趣味である音楽。セロ。ピアノ。簡素すぎる住居。神殿のような干し草置き場。丘をゆっくり動くモコモコの羊。その目。
そして想像した。
羊飼いが、たまに広大な牧草地の中で音楽を奏でる。そんな光景が目に浮かんだ。畜舎に隣接された住居は、そうするよりなかったんだろう。ロマンチックなだけじゃない、現実的な問題だって当然ある。そんな具合に。
でもそうじゃない。セロはもうあまり弾かない。現実の色んなことを忘れて、音楽の世界に入り込む、そのことが以前ほど大きな意味を持たなくなった。音楽は相変わらず彼らのそばにあるだろうけど、逃れるべき現実は無くなった。向き合っていたい充実した現実がそこにある。似たような話を、他の移住者に聞くことができた。ある人は、移住してくる前にやっていた趣味をすっかりやめた。長い間その人のアイデンティティであった趣味。それがもう絶対ではなくなった。
「羊が遠いよ。」アイコさんが何日目かの夜にふと口にした。
牧草地の真ん中におかれたバスで生活していたことのある彼ら。文字通り羊に囲まれていた。またあいつが鳴いてる、あの子の様子が少し変だ。すべて手に取るようにわかった。羊に囲まれて眠った。それに比べて今の家は羊から遠すぎる。玄関を出て10m歩けばパドックがあって羊がいる。でもきっとそういうことじゃない。
「羊が遠い。」その一言が、牧場という言葉にまとわりついていた色んな常識とか既成概念とか、建築的に言ったら牧場という形式とか構成だとかを、一気に吹き飛ばした。

月に水 -ある返答にかえて-

これは少し昔の話でもあり、少し真面目な”返答”である。
三大学合同好評会で岸健太賞を受賞したとき、岸さんから二冊の本をうけとった。
ひとつはテトラスクロール。バックミンスター・フラーが自身の思想を絵本というかたちでまとめた、なんとも不思議で示唆に富んだ本。フラーがどうやって世界に向き合っていたかがかかれているといっても大げさではないように思う。
もうひとつは「1984年」。1949年に出版されたジョージ・オーウェルの本だ。
抑圧された全体主義の行く先を描いた話。今はもう過去になってしまった、1949年からみた未来の1984年。その未来である1984年でさえ、自分は生まれてもいなかった。ビックブラザー、テレスクリーン、勝利ジン、ジューリア。。
物語のほとんどは、不気味な静けさとともに進んで行く。進んでいるのかもわからない。そのほとんどが暗くて冷たい。文学史の位置づけやそれに対して成された批評は、wikiにある通りらしいけど、それはそれで、今はそんなに重要ではないのかもしれない。
全てはもやがかかったように、全体的に灰色っぽくて、ひたすらに抑圧された息苦しさと、それとは正反対の白がたくさん混ざったエメラルドグリーンのような描写が、読者に必要以上の期待を抱かせないよう、注意深く綴られて行くような、そんな印象の物語。
そんな世界感の構築が進行していくなかで突然現れたジューリアの、「あなたを愛しています」というあまりにもシンプルな言葉は衝撃的で、一瞬その言葉の意味がわからない。その言葉はいったいどういう意味だっただろう、それくらいジョージ・オーウェルの描いた世界はそういうことを排除したものだったし、140ページかそこらでそんな世界に引き込んでしまう言葉の力を感じられずにはいられない。
この本が何故選ばれたのか。読み終えたあともしばらく消化できずにいたが、ユートピアであれディストピアであれ、未来を見通す確かな眼差しをもち、その世界を文章で構築するという社会的な責務を自らに課したジョージ・オーウェルというその人を、偉大な創作者のひとりとして、向きあわせたかったのだと思う。それがあくまでもディストピアであったということが、ものをつくる楽しみにとりつかれながらも、社会や世界の、目を背けてはいけない暗く冷たい部分をいつも頭の片隅においている岸さんらしい教えなのだろうと思います。そして未来にかかわるという。これはあくまで僕の感想ですが。
そしてそのすぐ後で、空前のベストセラーとなった村上春樹の1Q84。
初版が2009/05/30で、合同好評会が2月の終わり。ジョージ・オーウェルの「1984年」がどれだけタイムリーに僕のもとへやってきたのか、驚きとともに、気味が悪いくらいだ。
ミーハーに聞こえて構わないが、村上春樹は自分の中で別格で、その出会いも本当に偶然。
本を読むなんて全く縁の無かった自分が、大学一年の時にどういうわけか、ふと読んでみようとまとめて借りてきた村上龍のなかに一冊まぎれていた「ダンス・ダンス・ダンス」。村上ちがい。世間知らずの僕は村上春樹なんて当然知らなかった。多分今もそんなもんだろう。知らないことは知るまで知らないから。
何が好きで何がいいのかわからなかった不安な時期を少し通り越して、最近許せないことも多くなってきた。同時にそれが、そのものが持っている、潜在的な力を見つけにくくするフィルターとしてはたらかないよう、対象ときちんと向き合う必要性を感じている。今は少し違う種類のリアリティで建築をつくることに興味を持ちはじめた。
本を受け取って9ヶ月も経ってしまった今、やっとこのような返事を書こうとパソコンを開けば、月に水があったとかで世界は騒ぎだした。ものごとは連鎖している、ように見える。近いうちに月が二つ見えたらどうしよう。
それでもフラーとジョージ・オーウェルのかいた二つの物語は、そんな世界と自らが力強く向き合って生まれたものだったし、青豆だって、そうしようとしている。

本であいましょう

自身の卒業設計が掲載された、『近代建築6月号別冊 卒業制作2009』が近代建築社さんから発行されました。ぼちぼち店頭にならんでいるようなので、目にした方は是非手にとってご覧ください。全国各大学の卒業設計が収録されたものです。


師匠である塚本先生が素晴らしい文章を書いてくださいました。これからも、なんとかその期待に応えていきたいと思います。

卒、

3/18(本日)から横浜のZAIMというギャラリーで行われる卒業設計展「卒、」に出展します。時間のある方は是非足を運んでみてください。
ということで模型やパネルを設置するために一足早くZAIMに行ってきました。
学生主体で運営される展覧会で、出展者も運営者も関係なく展覧会をつくっていくというコンセプトなのだが、今までほとんど何も手伝えず…冷たい目で見られることを覚悟で模型を設置しに、のこのこ顔を出したのだけど、暖かく迎えてくれました。運営委員として関西から駆けつける人もいたりで、昔関西で参加したWSつながりを発見したりと、出会ったことの無い人に接するのはやはり新鮮で気持ちがいい。自分と向き合って生まれた作品を通して色んな人に出会えるのだから、こういう機会は大切にしなければ。
大きな空間にずらっと展示される形式ではなく、一部屋で7、8作品を展示するという、作品を楽しめるスケール感がとても良かった。部屋によって明るさや窓から見える景色が違って空間の雰囲気が全然違うのは、卒業設計という作品の性格上好ましいように思える。
僕の展示部屋は真白な部屋の向こう窓一面に、隣の建物の赤レンガが見えて、なんとも横浜らしい。昼でも光が強くないので照明を使っているのだけど、たまたま集められた作品のトーンに合っていて落ち着いた、いい展示空間になっていると思います。多分。20日まで展示されているので是非のぞいてみてください。

圧倒的なもの

仙台負けました。
色々勉強しました。
敗因のひとつは模型をのぞかなければ自分の主張を伝えることができないこと。パネルとしてA1が10枚とかある時は、図面や絵で模型に人を導くことができたのに比べて今回はA1一枚。それに対する模型のインパクトとわかりやすさに欠けていた。700余の作品が集まるせんだいは無差別コンペのようなもの。伝わらなければ意味がない。誰も歩み寄ってはくれない。形態や形式のわかりやすさに頼ることなく、しかし圧倒的なもののちからと魅力をもつもの(両者は対立することでは決してないが)。バックグラウンドもプロセスもささいなきっかけとして消えていくような。
行き着きたいのはその射程。
伝えたいことは山ほどある。
一度立ち止まってもらえれば、その決断を後悔させない自信はある。
自分が建築に対して持っているリアリティと評価軸にいくらかのズレ、或は絶対的な断絶があるかもしれない。またそうであって欲しいと思う。
そんなことを問題にさせないくらいの、圧倒的なものをつくらなければならない、と強く感じさせられた、せんだい。
色々な主体にあっさり憑依もしくは変身しながらつかむ固有の身体感覚と客観性の間。そこにある現代性。一年前、始めたばかりのブログで主張した身体感覚と社会性の話は乗り越えた。
客観的。他人。そういうところからどれだけ建築を説明(というか表現)できるのか、全然うまく説明できなくて、キーワードも心もとないが、そういう関心を持っている。

合同講評会


プレゼン風景。実はこの夕陽の写真は祖父の作品。安田講堂でじいちゃんと夢のコラボ。
先日行われた三大学講評会。グランプリは逃したものの、個人賞として岸健太賞を受賞しました。岸先生、素敵な本をどうもありがとうございます。松原さんにも評価していただきました。壇上で、これいいなあとおっしゃってくれたのが印象的でした。
講評に参加していただいた建築家のかたがた、スタッフをしてくれた先輩達、ありがとうございました。
とはいえ、あの枠組みなき講評には少々がっかりです。議論も批判も無かったと言っていい。
このままでいいのか、こんなことでいいのかと釘を指した松原さんの言葉があの講評会の中で、最も正しくシャープだったと思います。誰の何が、どういう枠組みの中で評価されたのか全くわからない講評会でした。これを見に来ていた学生は何を思って会場を後にしたのかと思うと非常に残念です。
打ち上げでは松原さんを初め、色々な方と話ができて刺激になった。二次会には石上さん、六角さん、岸さんをはじめとする芸大チームが学生に合流。有意義な時間を過ごす。非常に良かったというねぎらいの言葉を方々からもらい、テンションが上がると同時にアピールしきれなかったことに反省。
息つく暇無く仙台へ模型、プレゼンボード等搬出しました。もう今週末か。
どんな出会いがあるのか楽しみだ。どこまでいけるか勝負。