como

como。スイスに近いイタリア、como。テラー二のcomo。
テラーニを完全に誤解していた。何も見えていなかった。
冷たさなんてどこにもない。









なんて自在に建築を操るのか。

touristic urbanism 試論

日本の農村、そして地方都市は、観光業がその場所の産業の重要な位置を占めているものが少なくない。
あるいは大都市においてもそう言えるだろうか。ヨーロッパの主要都市しかり、東京もしかり。現代都市と観光は非常に大きな関係を持っている。
観光という言葉はとても広い意味を持ち、その言葉が生んできたイメージも、時代によって大きく変わってきた。リゾート開発、マスツーリズムが爆発的に進んだのはひと昔、いやふた昔くらい前の話で、現在ならグリーンツーリズムだとか、エコツーリズムだとか、アグリツーリズムだとか観光の概念はますます広がっているように思える。
歴史を辿ってみても、都市の大規模な変革は、常に人の移動とともに起こってきた。当たり前すぎるくらいシンプルなことだけど。
日本に話を戻すと、観光立国宣言の後、特に「地域の自立」と「観光」はより密接なつながりを持たざるを得なくなった。観光の延長としての移住も促進されている。そして、それらをふまえた様々な生き方も顕在化してきている。移住だとか、二地域居住だとか。例えばゆるやかに過疎化する市町村を多く抱える北海道では、100以上の市町村が移住のための専門の窓口を持っている。
1万人強の人口を抱える美瑛町には、年間120万人の観光客が訪れる。
美しい丘の風景にそれだけの人が訪れる。といってもその大部分は、通過型の観光客。美瑛にはそれだけ大量の人を受け入れるような宿泊施設や、観光客が滞在できるような居場所はほとんどないからだ。実際行ってみても痛感する。行き場所はあっても居場所がない。かといって、そういった観光客のための大規模開発はリスクが大きすぎるし、そもそもの観光資源を台無しにしかねない。小さな町に大量の人が訪れるインパクトは、その地域を支える大事な要素でもありながら、風景の変化とか、農業との関係とか、予期せぬスプロール化だとか、色んなところで摩擦を生んでいる。新しいやり方が問われている。
しかも観光客の入りは、予測できない。
円高になれば外国人観光客の数は顕著に落ちる。
その場所をロケ地にしたドラマや映画がヒットすれば一気に大量の観光客が流入する。価値観の変化によってなんでもないところが急に注目されたり、もちろんその逆もある。自然や景観が主な観光資源である場所ならば、季節による人口の変化も特に激しい。
今までは地元の人と観光客という二項対立で捉えられていた。
冷静に日本の状況を見ると、圧倒的に地元の方が立場が弱い。訪れる人のための開発が進んだ。訪れる人がいなくなったとき、その場所には負債以外残らなかった。
その場所に、文化資源を蓄積していくことに自覚的であれば、もっと違うことが起こっていたと思う。ヨーロッパ、特にちょうどこの夏に見てきたような、イタリアの都市や集落は時間と文化が蓄積されている。(紀元前から育まれてきた町や文化の強度と、例えばたかだか百年経ったくらいの北海道の町や文化の強度は、比べるまでもないことだが)
地元の人と観光客、その二項の間に、滞在の長さも周期も違う色んな層が挟まってきた。境界は曖昧になってグラデーションになった。どこまでが住人で、どこまでが住人じゃないのかということが曖昧になってきているということと、人口に対する移動人口の数が多いことが、”touristic city”、”touristic urbanism” とでも言おうか、新しい都市の認識を示唆しているように思う。
ずっとそこで暮らす人も、ごく短時間だけ訪れる人も、周期的に他の都市とその場所を住みわける人も、全部ひっくるめてその場所の住人と捉え、それらの人々が有機的に関係しあってひとつの全体をかたちづくっている状態を都市だと思考してみる。季節や時間によって都市の姿は大きく変わる。伸びたり縮んだりする都市である。
「人口の何%が都市部に集中する」と言われるときの都市ではなくて、相互補完的なネットワークとしての都市である。とても感覚的にだけど、おそらく都市と農村という区別はほとんど意味を持たなくなる。
その認識が、自然や環境資源に依存してきた場所が、観光を批判的に利用して、その場所固有の文化や町のあり方を発見し、成熟に向かうための突破口になるんじゃないだろうか。
最近はそんなことを考えている。

milano

一ヶ月ほど東京を留守にして、やっと落ち着いて家のふとんで眠れるようになって一週間経つか経たないかというところ。
といっても、僕は親から、丈夫で適応力のある身体をいただいたので、どこに行こうがリラックスして楽しめるしぐっすり眠れるのだけど。。
少し時間をかけて、夏に起こった色んなことを、染みこませなくては。衝撃さめやまぬ。ちょうど一年前にスペインとポルトガルに行ったときと同じ。ただ、イタリアの厚みは想像以上。というか想像なんてできてたまるか。だから世界はおもしろい。身の回りも、遠いところも、いつも世界がおもしろいから、ただそれだけで十分幸せだろうと思えることが、とても幸せなことだと思う。
そして塚本先生を見てると、建築家は旅人なんだと思うことも。
少しキザな言い方かもしれないが、建築家は、時間と空間を旅して回る素敵な生き方なんだと。ワクワクする。
というわけでまずはmilano。









まだほんの一部。
facebookにアルバムあり。よろしければ。
http://www.facebook.com/editalbum.php?aid=71636&add=1&flash=1#!/album.php?aid=71636&id=1663444845

百年記念館リニューアルオープン

前に一度ブログで紹介したけれど、百年記念館の展示室改修が完了して、ついにリニューアルオープンしました。





百年記念館で打ち合わせたり、作業をしたり、長い時間を過ごすようになってみてますますこの建築が好きになった。展示用に図面も一からトレースしたし。ほんとにいい建築だと思う。
篠原先生の作品を扱った展示室はもちろんのこと、全体的にとても充実したおもしろい展示になっていると思います。身の回りの技術のほとんどはここから生まれたと言っても過言ではないくらい、あれもこれも発明開発していることがわかります。
小さい頃、とにかく変わったきれいな石を集めるのが好きだったから、地球史に展示されている石たちを見て、どこか懐かしいような、恥ずかしいような気分を思い出したり。

夏の終わらせ方

今年ほど夏が気持ちいいと感じたことはない。
これは今年の東京の夏が、例年と比較してどうかということじゃなくて、自分の身体の問題みたい。
東京で聞く「わたし夏が好き」が、意味のない言葉みたいに聞こえていたのに、どうやら僕も夏が好きになってしまったらしい。
そんななか、修制を考えたり、ビエンナーレの最後の準備をしたり、tokyo researchをねばりづよくやっていたり、そして比較的よく本を読む。
じわじわとゆっくり、それでも着実に進んでいる、秋みたいな夏。
「羊をめぐるセロ弾きのゴーシュ」と題した前回のブログが、実は当の「羊飼い」によって紹介されていることを、ごく二、三日前に発見しました。こんなこと勝手に書くなんてけしからん、とでも言われてしまったらどうしようかと思っていたけれど、案外気に入ってくださったようでほっとしました。草野さん、どうもありがとうございます。→http://ch09905.kitaguni.tv/e1691852.html
(そしてゴーシュ羊牧場のリンクも追加)
すごく遠い。でも近い。広くて浅い世界から狭くて深い世界へ。
この羊牧場に限らず、今の僕の身の回りで起こっている色んなものごとが口をそろえて、そう語りかけているような気がします。
そしてまた羊牧場に、僕は行くことになったのです。
学会発表の準備をして、相変わらずtokyo researchをねばりづよく継続し、実施コンペに向けて準備をしつつ、羊牧場で何日か、おそらく奇跡的な時間を過ごして、何冊かの本を読み、釧路で寿司を食べ、集めてきた情報を整理している途中でベニスに飛んで、ビエンナーレの会場をつくって、イタリアで三週間くらい、おそらく奇跡的な時間を過ごして、その足で富山で学会発表をして、日本海側のどこかをふらりと回って東京に帰ると、今年の夏はもう終わっているんだ。

羊をめぐるセロ弾きのゴーシュ

帯広の北、上士幌町。小さな丘がリズミカルに続く山のふもとを奥に進むと、馬や牛よりうんと小さい羊の群れが見えてきた。近づくと、緑の牧草が敷き詰められたその上の、グレイがかったモコモコの毛皮をまとった小さな羊たちが、首を伸ばして真っ黒い顔をこっちへ向ける。
羊の牧場。
北海道に羊の牧場はほとんどない。日本に流通する羊は海外のものがほとんどで、北海道のジンギスカンの肉もほとんどが外国産でまかなわれている。
そんな、北海道でも珍しい羊の牧場は、脱サラして東京から移り住んだ、草野さん夫妻が始めた。この前子供が生まれたばかりのまだ若い夫婦だ。
彼らが何故羊とともにあの地で生きることを選んだのか、ほんの一時間ばかり話しただけでは、色々推測することはできても、ほとんど何もわからない。いや、それは「サラリーマンをやめて、羊飼いになりたい」と北海道に飛び立った、言葉通りただそれだけのことなのかもしれない。
羊牧場そのものがほとんど存在しないわけだから、国内産の羊の流通経路も皆無(というかシステムにはなっていない)、どうやって経営が成り立っているのかは良くわからない。とにかく今は、始めたばかりの牧場を、牧場として一人前にするために忙しい。一般的な意味での経営は破綻しているのかもしれない。それでも彼らは羊とともに、あの場所で生きている。
彼らは二人ともセロを弾く。だからこの牧場はゴーシュ羊牧場という。
「羊をめぐる冒険」と「セロ弾きのゴーシュ」を混ぜあわせたような物語が、静かに進行している。
彼らは羊舎のすぐ隣に住んでいる。もともと農場事務所だった、良く表現しても祖末としか言えないような建物の一部に、羊の毛の断熱材を仕込んで寒さを防ぎ、最小限のベッドと机、そしてふたつのセロと一緒に住んでいる。
素敵だなあなんて簡単に口にしてはいけないくらい、おそらく今の平均的な感覚から見れば、ちょっと耐えられないような厳しい生活をしている。
相当な覚悟がいるだろう。でも彼らはあっけらかんとしている。ように見える。何を判断の基準にするかで見え方は逆転する。彼らは自ら生き方を選択した。これは彼らのユートピアである。
手探りで一年が経った。彼らに子供が生まれて、羊が少し増えた。
現在は7haほどの放牧地に羊を飼う。数は忘れた。羊牧場は雌羊(袋羊)の頭数が、牧場の規模の指標になる。春は出産シーズンだから、羊は毛を刈られたばかり。毛は断熱材の役目を果たすから、寒い冬だけじゃなくて、暑い夏にも必要だ。
彼らは原始に戻ったように見えるかもしれないけれど、やっぱりネットは繋がっていて、ホームページも持っていて、自己主張しているし、現に僕みたいに、全くの無縁だった人が実際に引き寄せられていったりする。
だからこういう状況は、実は最先端なんじゃないかと言うこともできるけど、そんなことにはほとんど意味がなくて、ただそういう生き方をしている人が実際にいる。それが真実で、それ以上でも以下でもない。そしてそのことが、大きな鈍い衝撃として、ずっと頭から離れない。草野さんの目はとても澄んだ、不思議な黒色をしている。
彼らの生き方は、人を惹き付ける。
彼らは何か、特別な判断を下した、特別な人たちなのだろうか。

さつき

一ヶ月。。
ベニス。
ベニスの準備も一ヶ月かかって、ほぼ終盤。研究室総出で最後にガッときた。あとは自分がしくらずに最後きちんと締めて、みんなのがんばりに報いなければ。
マドリッド。
マドリッド工科大への留学がほぼ決まった。らしい。
正式な通知をもらってないからまだ、「らしい」にしとく方が無難なのか。なんにせよ来年の進路が見えてきて一安心。
ずっとマドリッド行くと言いつづけてたくせにスペイン語で落とされたりしたらかっこつかないなと思ってたけど、大丈夫そうだ。というかそもそもスペイン語のレベルはあんまり関係ないらしい。
なんでスペインってのはよく聞かれるが。eduardo torrojaとか Miguel Fisacとか、架構とデザインは昔から強いし。同じ国の中にある、気候と文化の違いに惹かれて。東工大で交換留学するのは結構簡単だから、それじゃ行けないところに行こうというのもあったし。修士をきっちり終えてから、切り替えて行きたいというのもあったし。建築学科生が5000人いる時点で、多分ほんとに色んなことが起こっているんだろう。何より建築つくることにポジティブだから、スペインの風土は。どうもそれはフランコ政権とか抑圧の歴史的背景があるみたいなんだけど、スペイン人いわく。まだ先だけど楽しみで仕方ない。
コンペ。
コンペは何で負けたかよくわかんない。なあ。あの家やっぱりいいけどな。じゅんと設計しながらすごく楽しかったからまあいいけど、どんなの勝ったんだろ。
修制。
とにかく6/5から北海道とんで視察。なんでわざわざ制作というかたちでデザインを問題にすることが大事だと思ったのかを表現しないことには。いい手がかりがつかめそうな予感がしてる。とにかく現場行きます。
仕事。
おもしろい話が入ってきた。まずはリノベ?まだ具体的じゃないが、東京に種をまければいい。いい種をまきたい。世の中色々飽和しているように見えて、必要なところに必要な人材が全然行き渡ってないことに気づく。いい加減な建築家気取りが多すぎて、ひどいことが起こっている。そんなことを思った護国寺の夜。
まだ涼しい風が気持ちよす。
結局自分で決めれることなんてほとんどない。
もちろん、ポジティブな意味で。

無題

最高に忙しくて刺激的な日々。
完徹だが眠気ゼロ。
いい仲間に恵まれた。
湖陵サッカー部を思い出す。
このスピード感、M2はこのままいきたいもんだ。

ひとつの生き物



つい先日行ってきた、「歌舞伎座さよなら公演」。
歌舞伎座が改修されると聞いて以来、一度は見に行こうと、冬から立ててた計画がやっとのこと実現。なかなかチケットが手に入らず、仕方ないので一人で見に行くことに。やはり歌舞伎座最後の一ヶ月とあって、連日満員らしい。
駅降りてからひと、ひと、ひと。。で身動きがとれない。東銀座駅の小さな出入口がまるで祭りのように活気づく。老若男女、着物をきたり、華やかだねえ。近代化されていく建物にはさまれて、銀座側からちらりと見える歌舞伎座の佇まいが好きだったけど、改修案のパースを見る限り潔くもとの姿を失ったほうが幸せだったのではないかとも思います。どうなることやら。
席は三階席だけど花道の見えるいいところ。白浪五人男がばっちり見える最高の席。一番安い席にしては大満足。残念ながら講演中は写真とれず。名だたる役者のあの姿、ぜひとも紹介したかったが。
歌舞伎のあの気楽な雰囲気は、ちょっと緊張してしまうような現代演劇とはまた違う。周りのおじいちゃんやおばあちゃんなんて平気で居眠りしているし、かけ声なんかも、実際は特別な人がやっているようだけれど、面白い文化で、新鮮だった。そしてやっぱり身体の動きが、殺陣のシーンとか動きがだいぶ抽象化されてて、でもその抽象化が独特で面白い。滑稽という意味でも。


歌舞伎座はひとつの小さな街のようで、色んな立場の人が、それぞれに動いてて、そういう開放感がすごくある。役者がいて、色んな観客がいて、席を案内してくれる係員がいて、黒子がいて、売店のおばさんがいて、そうやって並べてみると、なんら当たり前のことなんだけど、なんでだろう、街のような開放感があるのは。みんな主役でみんな脇役な感じがすると言ったら、演劇モードに入り過ぎだろうか。最後の歌舞伎座を写真におさめた安斎重男さんは、歌舞伎座はまるでひとつの生き物のようだと表現していたけど、ああ確かにそういう建築ってあるなあと、もう少し言語化したいのだけど。。


次は海老蔵か。