from switzerland

三大学講評会の準備を、仲間たちとへろへろになりながら進めています。
打ち合わせには遅れるし、迷惑かけてばかりのうえ、ちょっと周りで何が起こっているのか把握できていない。。
今日は東大・芸大の発表者とともに軽くプレゼンリハ。
刺激になる。自分の全然準備が進んでない。が、まだまだこれから。
そんな疲弊しきった僕に嬉しいニュースが。
先輩がブログで激励してくれていました。→http://d.hatena.ne.jp/byebye_berri/20090226
一年前に卒業設計を手伝わせてもらい、今回の卒制でもスイスから色々と助け舟を出してくれていた森中さんです。スイスでばりばり活躍しているようで、色々教えてくれるブログやメールは僕にとって貴重な情報源です。
早く日本で飲みましょう。待ってます。
というわけで、リンク追加です。
「占拠の、その後。」

とにかく色んな感覚を刺激したいという…

ここ数日の間、自分の身体を通した色んな体験が、ひとつひとつ身に染みていく感覚が心地良くてしかたがない。そんな数日間の濃縮された刺激のお話。
4日木曜日。
アトリエワンのオープンハウス+外構工事手伝い。神奈川のはずれに建つセカンドハウス。ちょっとした団体旅行みたい。
木材買出しに行っていると内部見学のタイミングを逃し、外観だけ拝んで外構工事(草むしり)に没頭することになってしまう。
…生々しい植物の匂い。
住処を追われ騒然とする虫たちを相手に、虫取り少年の懐かしい感覚がよみがえる。いちいち「○○がいる!」と見せびらかすも、周囲との明らかな温度差を感じ、一人ではしゃぐ自分が少し悲しい。
ササキリもヒメギスもイナゴもショウリョウバッタもツユムシも皆同じに見えるのだろう…かわいそうに。
そんなこんなの最高なアウトドアライフと程よい(いや、結構きつい)肉体労働をこなすと、気付けば庭は見違える状態に。四角い敷地に三角形のプランの意図が明確になる瞬間。
雨戸のような戸を開け放つと信じられないくらい開放的な空間が現れる。完全な外部。窓サッシ枠が無く、建具のレールが一本というディテールと、その境界におちる柱の存在の重要さに気付く。モルタル床暖もいい。まったりバーベキューで一階の空間を満喫したおす。
帰り道、初めて運転した深夜の246もかなり強烈で魅惑的な体験。深夜の東京を我が物顔で行くタクシーの群にかかんに飛び込む。
5日金曜日。
突然の打ち合わせ。4年担当のプロジェクト。いつもと違う場所で、いつもと違う雰囲気で、色々な人に出会う。相当刺激的でおもしろい。学ぶことも多い。積極的にかかわっていきたい。
6日土曜日。
学芸大学散歩。学芸大学駅で降りたのは初めてだったけど、東口の商店街はなかなかいい。人通りも多くにぎやかななか漂うどことなく控えめで上品な感じ。駅から離れるほどよい(笑)






そんな商店街を抜けて小さなギャラリー”YUKARI ART CONTEMPORARY/施井泰平展”へ。大きなテーマは「ネット時代におけるアート」だそうだが、うーん。。そういうことなのか。
虚の空間やデータベースを表現したようなもの-鏡や壁一面に配置された文庫本の背表紙-と実際にそこに存在しているリアルな物質としての実-わらや卵-が一枚の壁を隔てて不均等に置かれている。虚と実を対比的に表現しているのだという。
…もはや虚と実が単純な二項対立でないことは言うまでもない。両者は限りなく接近かつ融解しており、それぞれの存在が相互依存している。現実のマテリアルである文庫本の背表紙が配された壁は本棚のそれに近いが、荷重を支える横板が無いという点で決定的に違っている。実際のものを使って虚を表現する、或いは虚に近づこうとする試みそのものが興味深い。つまり、対比はすでに、リアルなもので虚を表現するという行為そのものの中に内包されている。ということか。
そんなふうに頭の体操をしながらふらふらふらふらしていると、あっという間に、また一日が終わる。
色んな出会いに感謝した週末。

東京観

久しぶりの映画館。
観てきました、「TOKYO!」。
MICHEL GONDRY・LEOS CARAX・BONG JOOH-HOの三本立て。
MICHEL GONDRYにかかればtokyoはああなるんだね。
恋愛睡眠~といいやっぱりいい。
色んな理不尽とか問題はあるんだけど、全然アイロニカルじゃなくて、東京だって、そこにいる人間でしょっていう感じに好感と共感。いつかの「装苑」で見たけれど、都市をみて(もちろんそれだけじゃないのだろうけど…)あれだけ人間を描けるのはすごい。日本人の描きかたが最も日本の映画監督のそれに近い感じがする。だからというわけではないけど素敵な東京。内からじゃないと描けない東京。一番いい。
LEOS CARAXのメルドは、パロディ調だけどそんなフィクションがなにか本当に起こってしまいそうな、それに対してすんなり、そして大真面目に応対してしまいそうな東京の空気を濃縮したようなもの。。でもいわゆる外国の人が東京に抱くイメージっていうものから抜けてない感じがしてちょっとものたりない。。
BONG JOON-HOの映画はみたことなかったけど画は透明感があってきれい。ひきこもってたらまわりがひきこもってても気付かないよね、そりゃあ(笑)地震でひきこもりが皆外に出てくるのが示唆的。ミステリアスな雰囲気がいい。
なんかわかんないけど愛すべき東京。生まれも育ちも違って、いわゆる都会の洗礼を受けながらたまに感じる居心地の悪さも含めて、決して座り心地のいい椅子を与えてはくれない東京が、やっぱりすごい楽しい。かな。
tokyo tokyo tokyo

切実さとは

友達に連れられて、「ミジカド-mizik(音楽)+kado(贈り物)-」というチャリティーコンサートに行ってきた。
ハイチに小学校をつくるなどの支援を行っている「ハイチの会」という組織が主催している。ハイチは内政混乱・物価上昇・高失業率・ハリケーンといった天災など、非常に多くの深刻な問題を抱えているらしい。
セスラというのはマリクレールという方が自邸を開放してつくったハイチの学校(といっても最低限の設備すら整っていない)のことで、500人もの子供たちの教育を支えている。しかもほとんどの生徒は教育費を納めることができていないという。
「セスラの会」とはそんなハイチに対し、教育体制の整備などをはじめ、様々な支援を行っている組織である。
誘ってくれた友達の友達が参加するというのでたまたま便乗したわけだ。
魅力的なみなさん

参加したのは5つのバンドで、若い人たちが多く、非常にパワーがあった。久しぶりに生の演奏を間近で聞いて、正直技術的なこととかあまり自分はわからないのだけれど、ものすごい衝撃を受けて、数え切れないほど鳥肌がたち、三回くらい本気で泣きそうになった。
皆生き生きと輝いていて、何よりも心から楽しそうだった。
自分の身ひとつが全てという表現者の切実さとそうであるがゆえの強さが伝わってきた。
「ハイチの会」の活動も切実さに溢れるものだった。その切実さがこれだけ多くの人々を動かしている。
今建築家が、建築界が考えていることにはどれだけの切実さがあるのだろうか。建築学生の僕が今まで学んだことといえば、思想的な部分に終始していてテクニカルなことはほとんど身についていない。アプリケーションがいくつかできるようになったぐらい。そしてあまりにも本物に触れていない。自分が語る都市とは何を指すのか、そのどこまでを実感として理解しているのか、非常に危うい。プロフェッショナルになるにはこのままではいけない。
トウキョウ建築コレクションで東工大の吉田先輩が、日本の学生は抽象的思考が好きでエンジニアリングに無頓着だし、社会に求められていることを理解していないと批判していたのが心に残る。
親父がイルファーというNGOの釧路代表を務めていると前にブログで紹介したが、具体的な活動のひとつとして、毎年ケニアで行われるメディカルキャンプがある。世界中の医師・看護師・針灸師などが有志で参加し、1~2週間にわたり普段病院に行けない貧しい人々の診療と治療をひたすら続けるものだ。近代化の進むケニアの首都ナイロビの周辺には相変わらず劣悪な環境のスラムが広がっている。エイズも非常に多い。脚を切断するしかないほど化膿を悪化させて診察に来る人がいたりと、そこには衝撃的で生々しい現実がある。僕もまだ写真と話だけで、残念ながら実際に参加できたことは無い。
でもそこには建築家のプロフェッショナルな能力が必要とされていると強く感じている。そこにあるもので、最低コストで仮設の空間をつくるためのテクニック、その空間をいかに人にとって魅力的にできるかというデザイン。設営の楽しさとか作業の共有可能性ももちろん必要。いつか自分がやらなければならないと勝手に使命感を感じている。ちょうどキャメロン・シンクレアがそれを誰よりも敏感に感じ取り、先んじて実行したように。