旅日記002_目眩_

旅日記2009.08.19-
granada
元塚本研の留学生、tomasが本当に色々と面倒を見てくれて、現地の生活をそのまま体感する。granadaはアルハンブラ宮殿のある丘、洞窟住居と白い街並のサクロモンテの丘に挟まれるように市街地が広がっている。
  
まずは言うまでもなくアルハンブラ。これはちょっとひとつの奇跡なんじゃないか。。こんな一言では片付けられないけれど、明暗と大小のコントラストの作られ方が劇的でかつ自然。目眩のするようなシークエンス。装飾も凄まじいが、建築の大きさに対してあそこまで微細なものが表面を覆っている感覚は初めて。そういう分節の仕方もあるのだ。(これはポルトガルで観られるアズレージョというタイルで覆われた建物でも感じることになる。アルハンブラは究極的だけど)キメの違いが普段の距離感とか、光と影の作り方と微妙なズレを生んでて、それが全然違う空間の印象を与える原因か。当時の設計者という存在に思いを馳せる。もちろん石工にも。
granadaは本当に見所満載。
アルバイシンの丘からアルハンブラの丘、ユダヤ人街やダウンタウン…。サグロモンテの急斜面にへばりついた半洞窟住居は、そこに導入された建築言語と元々の地形や地質のぶつかりあいが、ユニークな家をつくりだしている。本当におもしろい。なかなか経験できない貴重な体験だろう。と思いきや、水泳インスタラクターの家主曰く「水泳の日本代表もこの前来てたわよ」だそう(笑)
  

サグロモンテの生活と、ちゃんとリサーチしてる自分。
 

tomasは自身のプロジェクトもしっかり案内してくれた。
 
一つは街に3つほど点在するパブリックスペースのプロジェクト。豊かな地形の中で3つが距離を超えて互いを指示するようにデザインされている。つくりはとてもプリミティブで、素材と形態のダイレクトな表現。ただ最も暑い時期だったからか、もう少しちゃんとした日除けであればなあと思う。鉄板は熱くて触れないし…一番好きだったのは右端。コンクリートのシンプルなものだけど、人の身体のレイアウトによって日除けの効き方、景色の見え方が変わるのが面白くて知的。
 
もう一つは草原(農地?)の中に建つ研究所兼オフィス。地形とコンテクストにあっていて、複雑な形態も地形との関係の中で無理無く成立している。ハーフミラーを使って、ものや人の距離を操る遊び心にもいやらしさがないのは、その背景でコンテクストの読み込みが感じられるから。(右端の写真、わかります?)
多様な文化や生活様式が混在していて、それぞれにユニークな表情をもち、アルハンブラが鎮座するgranadaを絶賛するも、一方で建築家としてのフラストレーションもあるらしい。改築、新築ともに旧い建物や街並を保存する制度でがんじがらめ、自由な創造は難しい。そして何をやってもアルハンブラがつきまとう。誰もがアルハンブラを見て絶賛する。あんな奇跡が目の前にあって建築家は他に何をやればいいのか。歴史や守るべきもののある場所ならではのフラストレーション。東京の、日本のダイナミズムのなかで建築家ができることはまだまだ開かれてる。その思いはこの旅を通してより強く、より具体的になることになる。
ものすごく楽しみにしていたカンポバエザのグラナダ銀行は残念ながら中に入れず。向かえにできた現代美術館を見学。んー。とても奇麗ではあるんだけど、なんとなく客観視しかできない感じが残る。その空間に自分が参加できていないような。後にシザの建築を見て、そこで感じた違和感は決定的に。光の扱い方にもかなりの違いがあるんだなあ。ペンギンプールみたいな渦状スロープも、自由に各展示室を結ぶという当初想定されていた使われ方はしていないらしく、どういう場所なのかイメージしづらい。まあ他の作品も見たい。
  
写真はかっこいい。ハイウェイに対峙するコンクリートの基壇と細長いボリュームの外観はモニュメンタルで堂々としている。Kさんの「これは超絶プロポーションだね~」の一言に笑う。
そうそう、granadaでベシート初体験。これで一歩スペイン人に近づけただろうか。
-08.20

旅日記001_踊る街_

旅日記2009.08.17-
paris
シャルルドゴール着。コンクリートがきれい。
のびのびして明るい空間が気持ちいい。
乗り換えまで5時間待ち。パリに飛び出したいところだがひとまずは空港に缶詰。なにして過ごそうか。
malaga
 
malagaに深夜着。ホステルの情報は住所のみ。バスを降りる時にとっさに運転手に道を聞いたが、これがなかったら多分たどり着けてなかった。めちゃくちゃわかりにくい。
当初は経由のみの予定だったが、先輩との待合せ時間変更のため、夕方まで街を歩き回ることに。ホステルのまわりは住宅街。街の中心に向かうとちょうどferiaの時期で、街はお祭りどんちゃん騒ぎ。そこかしこでビール片手にフラメンコ。飲んで歌って踊って飲んで。
 
そんな街の狂乱も、一旦のパティオに入ると別世界。とても静かで、白と緑のコントラストの中に小さな家具が散らばっていて、いい居場所ができている。例えば日本の集合住宅にこういう所有の曖昧な空間は作れないものかと思う。うまくいかないのはどうしてか。
 
パティオに面する上階の廊下には色んなものが置いてあってとても生き生きとしている。今はこの廊下を介して何世帯かが住んでいるらしい。案内してくれたアメリカ出身のdennis君は語学留学中。家主のおばあさんはスペイン語で色々建物の説明を熱くしてくれたんだけど、彼の通訳のおかげで200年くらいだったかな、オリジナルのパティオがずっと残っていて、床梁は木で、何回かつくりかえているとか色々な話を聞くことができた。またスペインに来る時はよりなさいと、優しく言ってくれたり。
夕方ますます過激になった暴走状態の街をすり抜けバスターミナルへ。ビーチに行きたい気持ちを抑え、いざgranada。
-08.18

興奮冷めやまぬ

スペイン・ポルトガルの濃密な旅を終えてはや2週間。
いい意味で自分の建築観をかきまわされて、大変な衝撃を受けたから、帰国してからも興奮冷めやまぬといった感じか。気がつくと東京もいい季節になってきたし、ちょっと腰をすえて考え事をしたいと思う。将来のビジョンも真面目に考えだして、まあ多少の不安がありつつも、やりたいことが溢れ出て、なかなか寝付けない。頭はフルスピードで回転している感があるけど、もう少し。まずは旅行中たびたび書き留めていたものを、ざっとまとめてアップしていきたい。本当にこの旅は自分にとって大きかったから。
 

 

二年前、有名建築の場所のみプロットされたざっくりした地図だけを頼りに、大きな荷物を背負って友と二人、わけもわからずヨーロッパをさまよった時とは見えるものが全然違う。
  

シザの建築は圧倒的。もちろんシザ特有のボキャブラリーや構成について語ることもできるが、一番衝撃的なのは、自分がその空間に存在しているという感覚から逃れることができないこと。客観的にみることができない。一方でひたすらに奇麗なんだけどすごくバーチャルに見える建築というものもある。内部にとりこまれているんだけど無視されているような、そういう感覚を与える建築がある。シザの建築はそれと真逆。今はそう伝えることしかできない。
彼が建築家として仕事をする枠組みはとてもしっかりしていて、建築家として社会的に強く信頼されているのがわかる。lisbonのchiado地区のリノベーション、evoraのsocial housing、boucaの集合住宅…。そしてそれぞれがすごく適切な大きさだという感覚を強く感じたのはおもしろい。スケールと言ってしまっていいのか、その辺は少し慎重になるべきだけど、「建築の大きさ」はとてもおもしろくて可能性のある話だと思う。初めてその実感を得る。シザもそこにとても敏感な建築家だと思う。坂本先生が近年よく語っているスケールの話、ちょうど今月の住宅特集の長谷川豪さんと西沢大良さんの対談とすごく関係がある。スケールそれ自体は神秘的なものでもなんでもないと思うし、それ自体に独立した価値を見出すのは嘘くさくてちょっと違うと思うけど、もう少し一般的なというか、建築と社会の問題として建築の大きさを考えることには、興味がある。

釧路新聞に載せていただきました

地元に帰ってきています。と言っても、明日東京にもどりますが。。
今回の帰省でも、たくさんの出会いがあって楽しかった。帰ってくる度にいろいろな出会いがあって、どんどん輪が広がっていくのが最高です。
そして先日、釧路新聞社さんに取材をして頂きました。
実はすでに、今日の朝刊に掲載されてます。ネットとはまた違ったスピード感。
釧路を舞台にした卒業設計を、釧路のみなさんに新聞を通して伝えるチャンスをいただいたこと、感謝します。釧路新聞社の黒田さん、今回の取材に関して色々手伝ってくれた親友の赤本くん、本当にありがとうございました。どちらかといえば抽象的で、なかなか一言でまとめるのが難しい話をたくさんしてしましましたが、熱い想いを熱心に聞いてくださり、素敵な記事にしていただきました。
今回の記事は、建築家(修行中ですが。。)が何をやろうとしているのか、どんなことを考えているのか、を伝える最初の入口にはなったのかなと思います。こんなやつがいるのかということをまず知っていただければ。
とにかく釧路をテーマに考えてくれたこと自体が嬉しいと言ってくださる方もいます。が、こっちはプロでありたいと強く思っている以上、いつまでもそこに甘んじるわけにはいきません。
僕の方はまた東京に戻って、修行を続けるだけです。中途半端なものを地元に持ち込むことだけはしたくないので。
明日帰ります。灼熱の東京(笑)
17日からはスペイン、ポルトガルでリサーチ。
”窓辺でおきる、人やモノの豊かな振る舞い”を観察してきます。
みなさんお元気で。

表現がすべて。すべてが表現。



東京で初めて花火みる。
神宮の花火を、先輩の事務所というベストスポットから。
うまい酒とうまいつまみ。築地の魚ってほんとにうまい。感謝します。
花火を見てる一体感が東京花火の一番おもしろいところかな。ベランダというベランダに、屋上という屋上に人の姿が。高層ビルと満月と飛行船と花火。
街や人が生き生きする瞬間が楽しい。
レアマニアックな本をいろいろみせてもらう。ルドルフ・オルジアティの建築がものすごくかっこいい。
もっと見たい、知りたい、つくりたい。
コアな先輩たちの建築話は聞いてて本当におもしろいが、まだ参加できず。まあでも開き直るわけではないが、わからないというのは偽らなくていい。知識の差はしかたがない。その場で相づちをうってみせることは簡単だが、自分の言葉が無ければ意味がない。もう少しゆっくり勉強する時間がほしい。大学院生なんだから、一日中建築の本を眺めていてもいいはずだ。それがなかなか難しいのだけれども。。
建築の勉強始めたその時からお世話になり、今は千葉工大で研究室をもっている先輩(?)と思いのほか家が極近であることが判明。これはまたお世話になってしまいそうです。多分彼の家にはものすごい量の建築レア本がひしめいてるのだろうなあ。
建築が他の分野を積極的に参照した60,70年代。建築の閉塞感に比べてロジックも実践も先進だった音楽や演劇、サブカル。今はそのどの分野もパッとしない。ヨウジヤマモトもハナエモリも苦しそうだ。情報は無限でも、何かてっとりばやく参照できるようなものは見つかりにくい。
常にやってる自分が最先端。まわりの反応を少し気にしすぎているのかもしれない。
大事な言葉はいつもすぐ忘れてしまう。
「ふたつの選択肢のどちらを選ぶべきかという迷いほど無駄なことはない。」
今日出会ったことば。

最近はというと

M1らしく、塚本研漬けの生活を続けています。
留学行く人が日本を離れていったり、ずーっと前に書いたdiploma展のイベントもなんとか前向きに終えて、過去の表彰も済んで、いろいろ身の周りが動いていきます。
 
               

diploma展の模様は「ブレーン」という広告批評誌が取材をしてくれて、9月号に載ってます。自身の作品も紹介していただきました。建築誌とは、また説明のされ方や紹介のされ方が違っていて、いや、それは全く悪い意味ではなくて、こちらの意図をちゃんとつかんでくれているので満足です。 一緒に企画した友達の作品もきれいに紹介されてます。時々手に取って眺めるくらいだった雑誌のひとつでしたが、誌面のきれいさが印象的な雑誌です。非常にありがたいことです。
結局お前は何をやってるんだっていうことを、まわりの人に伝えること。膨大な時間と労力をかけてたずさわっているものだから、できるだけ色んな人に伝えたいと思う。
JIAのパネルディスカッションでは、まだ建築を勉強したての学生や、建築専門外の人に何回も何回も自分の作品を説明したし、diploma展でも同じようなシーンに何度も遭遇した。内輪で使う言葉が全く意味を持たなくなる瞬間が何度かあって、普通の人が普通に使う言葉で自分のやろうとしたことを伝える際には、普段使わない筋肉を動かすようなぎこちなさがある。
こっちが必至で、もうなんか熱意しか伝わってないような時もあるけど、それはそれで感動したって言ってくれる人も中にはいて、もっとそうやって人の気持ちを揺さぶるようなものをつくりたいと、忙しさに負けて色々大事なことを忘れそうな自分に、もっとお前も感動しろよと喝をいれる意味で、久しぶりの更新のきっかけにしてみたり。

7/4!!

7/4!! 17:00~DEPLOMA EXHIBITIONと連動して行われたインタビューをさせていただいた方を中心にお招きして、卒業設計のプレゼンテーションとディスカッションを行います。
(ゲスト:坂本一成・高橋晶子・高橋寛・大成優子・吉村英孝・藤村龍至(敬称略))
卒業設計を終えて半年が経とうとしていますが、今回このタイミングでexhibitionを行うにあたって、何をすべきなのか、実行委員で色々考えた結果、やはり未来について話そうということで、おそらく東工大の長い卒業設計展の歴史のなかで初めて、僕たちはフリーペーパーの発行やイベントの企画を行いました。
個を際立たせる4000字の論考。先輩であるそうそうたる建築家達と、生意気にもフラットに扱われたレイアウト。それらはこれから一人の作家として背負おうとする責任の表現でもある。展示会においてもフリーペーパーにおいても、今自分たちが持っている全てをさらけ出しました。
これが終われば卒業設計はしばらく過去のもになります。
next stageへ。
その瞬間に是非参加して頂きたい。
よろしくお願いします。
exhibitionは18日までです。受付は作品を出展している実行委員が交代で行っています。以下に僕の担当時間を書きます。質問でも批判でも世間話でもなんでもかまいません、気軽に声をかけてください。当番以外の時間でも、連絡をくれれば可能な限り顔出しに行きますので、遊びにきてください。フリーペーパーは読み応えあると思います。建築無関係の人でも、それぞれの熱い思いは伝わってくるはずです。楽しんでください。それでは会場で。
7/4(土) 16:00-
7/7(火) 14:00-19:00
7/8(水) 10:00-14:00
7/10(金) 14:00-19:00
7/13(月) 10:00-14:00
7/15(水) 10:00-14:00
は会場にいる予定です。

大きくて近いものと小さくて遠いもの

奥山先生のオープンハウス。卒制をお手伝いさせってもらった先輩の初担当ということで、とても楽しみにしていた。


外観は足元の軽いおおきな家型。コンクリート造。
左右がガレージ、正面の大きな開口は吹き抜けに面して2、3階にまたがり、中が良く見える。
外観はとにかく大きな建てものに見える。どこか異常なくらい大きい感じがする。ところが中は非常に関係が近い。狭いわけではなく、近い。
アトリエワンの家は外観の見え方に対して、内部が圧倒的に広く感じられる。というか遠い、のか。階段がスキップフロアを貫く構成。それぞれの場所と場所の関係に距離をつくることで獲得する広がり。これは撮影補助の時にも顕著。モノを移動したり、光の入り方を調整したりとカメラマン含め常に何人か同じ空間にいるのにも関わらず、みなそれぞれ写真の映らない場所に収まることができる。つまりはかくれんぼがしやすいというか。。それは少し冗談だけれども。まるで真逆なのは興味深い。
外観の特徴でもある、吹き抜けと巨大な開口を持つ2、3階の居室空間は明るく開放的で、最初に言ったように部屋と部屋、部分と部分の関係が近い。構成を把握しやすいシンプルでシンメトリーな平面形もそのような感覚を与える原因か。プランの幾何学からなんとなく身体が正対しようとする壁は、ほとんどが開口になっている。左右の開口は内部によってか微妙にシンメトリーではない。2、3階の側面の開口は縦にそろっているけど、多分2階の開口の位置によって決まっている。
2階は全体的に家具が低く抑えられている気がした。机も少し低い。その分天井が高く感じる。吹き抜けもそうだけどかなり上に向かうべクトルの強い空間だと感じた。階段室はコンクリート打放しで、居室の開放的な空間とは対極の、非常に閉じた重い空間。階段室の開口部はアルコーブになっていて、窓台の奥行きが異常に大きい。最初は玄関から入ってまずその階段室を通るから、窓台のコンクリートの厚みとそれによって生まれる光の奥行きによって、コンクリートの重さを感じることになる。でも居室に入ると非常に軽い。逆にキッチンのおさまる壁は100mmとかで、それもすごく薄く感じられる。



とにかくこの対比を意識的に強くつくろうとしていることはすごく伝わってくる。この対比のせいかわからないが、内部にエレベーターが通っていることが何故か全く意識されない。
外観の大きさと、内部で感じる距離の近さというギャップは今まであまり感じたことのない体験だった。あとはやっぱりふたつの空間の極端な対比。ものとしておもしろいと思う一方、そこにどういう意味があるのかはまだよくわかっていないけれども。

切妻がもう一枚の平面で切り取られている。不思議な幾何学。

TITECH DIPLOMA

卒業設計これが最後の展覧会です。東工大百年記念館にて7/2~18まで開催。詳しくはここ


会期中は僕も交代で受付してるので遊びにきてください。プレゼンや東工大OBOGゲストを呼んでのディスカッション、フリーペーパーと盛りだくさんです。そこは本気です。よろしくお願いします。

本であいましょう

自身の卒業設計が掲載された、『近代建築6月号別冊 卒業制作2009』が近代建築社さんから発行されました。ぼちぼち店頭にならんでいるようなので、目にした方は是非手にとってご覧ください。全国各大学の卒業設計が収録されたものです。


師匠である塚本先生が素晴らしい文章を書いてくださいました。これからも、なんとかその期待に応えていきたいと思います。